蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

小林多喜二 「防雪林」

虐げられる労働者階級の怒りを描かせたら小林多喜二は群を抜いています。しかし、無産者階級がどうの、共産党がどうの、共産主義がどうのというテーマを抜きにしても、彼の作品は物語としてしっかり構成もできていてかつ描写も美しく、登場人物の人間性もはっきりとしていて文学作品としても高い評価を受け得るものばかりです。政治的なもの、イデオロギー的なものに興味がないから小林多喜二は読まないというのは間違いです。一つの文学として失望を覚えるようなものでは決してありません。この作品は北海道が舞台です。地主の土地を耕して、収穫を納める貧しい農民たちの話です。あまりに地主の搾取がひどいのでこれでは生きていけないということで農民たちは団結します。そしてみんなで地主に交渉に行こうということで集まりますが、向かった先には農民の動きを事前に察知した地主の手回しによって彼らを拘束しようと警官たちが待っていました。そして首謀者を吐かせるためにみんな殴る蹴るの暴行を受けます。そして傷だらけ血だらけになって帰ってきます。主人公はこのことに強い憤りを覚え、復讐の機会を待ちます。やがて地主の家が火事になり……という内容です。虐げられる労働者の悲惨さを描いて強く訴えてくるものがあるのはいつものことですが、物語の中に出てくる自然の描写の美しさも特筆に値します。吹雪く北海道の厳しい自然が目の前に浮かぶようです。それに登場人物の動きや言動も細かくてユーモラスですし、ストーリーの展開も面白いです。労働者文学という範疇だけに収めるにはあまりに幅の広い作品だと思います。イデオロギーの問題は別にしても是非読んで頂きたい作品です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

野上弥生子 「海神丸」

女流文学の歴史をひもとくと、その背骨として長い期間どっしりと構えている大きな存在があります。それが大御所中の大御所、野上弥生子です。この人のイメージは何事にも動じない貫禄抜きには語れません。文壇がいろんな派に分かれて、やれこっちが主流だの、こっちが本当だのと競い合うのをよそに、自分の文学を静かにゆっくり熟成させていったという感じを受けます。その姿勢を保ったまま実に99年もの長寿を保ちます。女流文学史の背骨と言いたくなるのもおわかりいただけると思います。この作品は初期の頃のもので、大正11年9月に発表されました。代表作として必ず名前が上がる作品です。運送船が嵐にあい遭難する話で、今ではよくある”人間の極限状態における異常な行動”をテーマにした作品です。実際に似たような体験をした人から聞いた話をもとにしているそうですが、それにしても女性の筆によってこういう内容のものをまだ経験も浅い頃にさらさらと書いてしまうところに天性の才能を感じずにはいられません。しかもこういうきわどい内容の場合は、情景の描写が細かいほどリアル感が出るのでそれによって読者は緊張しますが、野上弥生子の筆によればリアル感はもちろんのこと、そこにどこか美しさをも感じるのは、彼女独自の才能のあらわれではないでしょうか?漂流が続けば食糧がなくなる、極限状態まで追い込まれ、正常な判断ができなくなった人間のどうしてもいきつくところ、それはカニバリズムです。小さな船の上で凄惨な騒ぎが起こります。女流作家には珍しくちょっときつい内容ですが果たして野上弥生子はどういう結末にしたのでしょうか?皆さんも是非ご自分で読んで確認して下さい。

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岩野泡鳴 「放浪」

岩野泡鳴のいわゆる五部作と言われる中の三番目にあたる作品です。五部作とは、「発展」・「毒薬を飲む女」・「放浪」・「段橋」・「憑き物」のことを指し、この作品は「毒薬を飲む女」の続編ということになります。家族も愛人もほったらかしにして蟹の缶詰工場を作るという事業のために北海道からさらに樺太へと渡ったのはいいけど思うような結果を得ることができず、何か新規巻き返しの策を練るために樺太から北海道へ戻り、さてどうしよう?と途方にくれているところから話が始まります。友人知人の家に居候しながらいろいろな策を練り、根回しをするわけですがどれも実りません。そのうちに工場のほうもダメになっていきます。そんな状況でもしっかり色町には遊びに行くわけで、そこである芸者といい関係になります。東京に奥さんと子どもを残し、愛人も残し、それなのに北海道でまたこのざまです。そしてそれを包み隠さず書いてしまうこの人も度胸あるなぁと変なところで感心してしまいます。小市民的一文学者がばたばたと人生にあえいでいる姿を描いた作品です。文学的なテクニックにおいては五部作のどれもそうですが、彼お得意の三人称一元描写で描かれています。これは簡単に言うと三人称で書くのに、作者が代弁するのは主人公の気持ちだけで他の人の心情は表現しないというもので、要するに三人称でありながら独白のような形式です。この表現方法を確立したということで彼の名は永久に文学史から消えることはありません。そんなすごい人なんですが、どうもビジネスにおいては才能がなかったようですね。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

井上靖 「闘牛」

皆さんは井上靖の名前を聞くと、文学小説の作家と思いますか?それとも大衆小説の作家と思いますか?もし多くの人の意見を集めたら結構票が分かれるのではないかと思います。作品をいくつか読まれるとわかると思いますが、非常に分類の難しい作家です。文学性は高いと思うんですが、ストーリーもしっかり面白くて、一般的な文学小説のように表現を楽しみながらじっくり読むというより、面白いので一気に読んでしまうことが多いです。逆に言えば絶妙な立ち位置にいる作家ということになるのでしょうか。井上靖は若い頃に懸賞小説で入選したことがありますが、その後新聞記者生活を14年も続けたので本格的にデビューしたのはかなり遅く、次に書いた「猟銃」の時は既に42歳でした。そしてこの「闘牛」を書いて、見事第22回芥川賞を受賞したのが43歳の頃です。遅咲きの部類に入るとは思いますが、それだけに人生経験を積んだ後の作品なので完成度も高く、ベテランの風格さえ感じます。この作品もやはりストーリーが面白いのが大きな特徴です。「闘牛」といってもスペインのように牛と人が戦うのではなく、牛と牛を戦わせるものです。主人公は新聞社に勤めていますが、社の一大イベントとしてこの「闘牛」を企画します。なんとか成功させるために奔走する毎日が始まります。開催日が近づく間、様々な準備が必要ですが、次々に起こるトラブルにも頭を悩まします。おまけに開催できる日程が変更できないので当日雨が降ると中止となり、社に多大な損失を負わせることになります。いろんな人々の思惑も絡めつつ、イベントが成功するかどうかのハラハラとさせる展開が見事です。率直な感想としてはやはり面白い!ということです。読ませます。その後、名作を次々に発表しますが、やはりどれも面白いことは共通しています。井上靖はノーベル文学賞候補にもなったことがありますが、なるほど欧米の人にも好まれそうな作品が多いです。最近こういうタイプの作家があまり見受けられないのはちょっと寂しいですね。皆さんも是非、”面白い文学小説”の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょう?

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

石川啄木 「一握の砂」

日本人で知らない人はほとんどいないでしょう。明治の偉大なる歌人です。学校でも習うのでもうここで説明する必要もないくらいでしょうけど簡単にご紹介します。石川啄木は明治19年に岩手県で生まれました。本名は一(はじめ)です。文学史に名を残す作家たちはほとんど学生時代の成績はいいのですが、この人はそうよくはなかったようです。むしろカンニングはするし、欠席も多いし、ついには退学させられたりと、今で言えば完全に不良です。そういう彼を文学の道に目覚めさせたのは「明星」という雑誌です。そこに掲載されていた与謝野晶子の短歌に影響されたという話です。天性のものがあったからでしょう、それからはめきめきと実力をつけ、文壇でも認められるようになります。そして24歳の時にこの「一握の砂」を刊行します。彼の第一歌集です。ところが天才にありがちの運命が彼を待っています。肺結核が彼の人生を奪ったのはなんと26歳の時です。「一握の砂」発表からわずか2年です。当然そんなに作品は残せていません。第二歌集の「悲しき玩具」や、小説「我等の一団と彼」などは死後に刊行されました。なんとも悲しすぎる天才の生涯でした。しかし残された作品の内容は濃いです。この歌集には有名な短歌も含まれています。
「東海の小島の磯の白砂に吾泣きぬれて蟹とたわむる 」
「たわむれに母を背負いてそのあまり軽ろきに泣きて三歩あゆまず」
「はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る 」
「悲愴」「寂寞」「孤独」「虚無」・・・そういう心情を表現した短歌はストレートに胸を打ちます。本棚ではなく、机の上などの身近なところに置いておきたい歌集です。

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夏目漱石 「倫敦塔」

夏目漱石は明治33年5月に文部省からイギリス留学を命ぜられます。彼が熊本の第五高等学校の英語教師をしている時でした。本場イギリスで英語教育について学んで来いというわけです。日本を代表して政府に選ばれたわけですから、彼の優秀さが想像できます。こうして約2年間の留学生活が始まりますが、この作品はイギリスに来てまだ間もない頃に一人でふらりとロンドン塔を観光した時のことを、数年後に回想して書いたもので、明治38年に発表されています。この作品の特徴は、紀行文のような形式をとりながら、そこで見たものをきっかけに空想の世界が広がるという部分が度々出てくることです。つまり、紀行文のパートと歴史小説のパートが交互に現れるような形になっていて、非常に興味深いものがあります。空想の世界で登場する人物の顔をよく見ると、さっき見た子連れの女性の顔だったりして、現実と空想が融合して不思議な感覚を誘います。でも最後は下宿の主人におちをつけられてユーモラスに終わります。夏目漱石ともなれば由緒ある歴史的遺物をこういう感慨をもって見るんだなと思うと、妙に感心させられてしまいました。おそらく自分なら見物したものに対して、一瞬は古に想いを馳せて感慨を持つことでしょうけどすぐに忘れてしまうと思います。紀行文もただのレポートになってしまうのが常です。それが天才にかかればこんな深い作品に仕上がるわけですからね。やはり脳みその質から違うのでしょう。それにしてもこの作品に限らないことですが、他の追随を許さない美しさを持つ文章には本当に圧倒されて言葉も見つかりません。あ、この箇所いい!と思って何度も読み返すことが何度もありました。だから短い作品ですが時間をかけてじっくり読みたくなります。この作品はある意味紀行文の最高峰かもしれないと個人的に思いました。

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宮本百合子 「貧しき人々の群」

プロレタリア文学において女性として最も大きな足跡を残した宮本百合子の記念すべきデビュー作です。日本女子大学に在学中に書かれ、父親の知り合いを通じて坪内逍遥にこの作品が渡ります。この大先生によって賞賛されたから大変なことになります。そこから滝田樗蔭の手に渡り、「中央公論」において広く世間に発表されます。大先生の太鼓判付ですからすぐに一世を風靡し、「新しい閨秀作家が生まれた」と当時の新聞にでかでかと書かれてあっさりと文壇の仲間入りです。彼女は大学を退学して早くも作家生活に入ります。この人の場合はこんな感じで最初からすごい人でした。そしてその後プロレタリア文学の大きな流れを作る一人になるわけですが、この作品で既にその目指すところが見えています。社会の一番下の層にいる貧しい人々の憐れな姿を見て、この不合理な社会を改善すべく自分は何かをしなければいけないと主人公の少女は一人決心して行動に移しますが、現実はそんな彼女の意気込みをあざ笑うかのようにその善意を跳ね返します。生活をよくしていこうという意志を貧しい人々の中に感じることができない彼女は、矛盾に苦しみつつ自分のなすべきことを探して悩みます。無駄にみえる小さな努力でもやめてはいけない、そのうちにきっと何かをつかむはず・・・そんな思いを支えに前進を続ける主人公の強い姿は、まさにその後の宮本百合子そのままです。彼女のデビュー作であると同時に、意思表明でもあるといってもいい名作です。

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大仏次郎 「地霊」

まず名前ですが、「だいぶつじろう」でも「おおふつじろう」でもありません。「おさらぎじろう」と読みます。この人は誰でも知っているある有名な作品の作者です。わかります?あの「鞍馬天狗」の作者なのです。これって意外と知られてないんですよね。作者の名前よりも作品の主人公の名前のほうが有名になるのはよくある話ですが、この人の名前は是非覚えて頂きたいです。ところで小説には大きく分けて文学小説と大衆小説があるのはご存じのとおりですが、ではその二つはどう違うのでしょうか?簡単に言えばストーリーよりも芸術性を追いかけるのが文学小説で、ストーリー重視なのが大衆小説ということになるとは思いますが、世の中にはその二つの要素をあわせ持つ優れた作品がたくさんあります。まさに大仏次郎の作品がそれにあたります。芸術的であり、かつ非常に面白い作品が多いです。ではどれから読むのがいいでしょう?まずはこの作品をお試し下さい。あんまり面白いのでえしぇ蔵は家でのデスクワークそっちのけで夢中になって読みました。舞台は革命前の帝政ロシアです。共産主義社会を目指す人々の活動を秘密警察が取り締まるという戦いが続く中で、主人公は警察の人間でありながら、共産党の熱心な活動家として潜り込み、スパイ活動をします。彼の党での活動は非常に目覚しく、誰もが一目置く存在となって徐々に大物になっていきます。誰も彼がスパイなどと夢にも思いませんでした。彼の作り上げた虚構は完璧に見えましたがほんのわずかな隙があり、スパイの容疑をかけられます。さぁ、彼はどうなるのか?ハラハラドキドキ!スパイものって興奮しますよね。面白さは保証します。これぞ芸術的大衆小説です。

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葛西善蔵 「遊動円木」

葛西善蔵を語る場合にはまずその破滅的な生き方が注目されます。常に貧乏の極致にいて家族や友人に迷惑をかけてばかりの生活なのに浴びるように酒を飲み、(その酒量のすごさは半端じゃありません)酔っ払った状態で極めて優れた作品を生むわけですから、天才というのは何を考えているかわからないものです。彼の文学への取組みにおける特徴として言えるのは、そういういわば”ろくでなし”状態を保つことがまずあげられます。そしてもう一つは友人を作品のモデルにすることです。それも平気でボロクソに書いたりします。当然友人は憤慨します。いわばだしに使うわけですから、そんなことを繰り返すうちに当然友人も離れていきます。この作品もそういういわくがついてるので、そのへんを理解した上で読むとまた興味深いです。内容としては主人公が奈良にいる友人夫婦のもとに一週間ほど遊びに行って、ある夜に夫人が公園の遊動円木に上手に乗ってみせるというこれといった起伏のない話なんですが、その友人というのが広津和郎のことらしいのです。友人は作品の中でも自分を小説の中で悪く書いたと抗議するシーンがあり、主人公は弁明しています。つまりはこういう諍いを葛西善蔵と広津和郎は度々やっていたようです。葛西善蔵の臨終の時にも広津和郎は枕元で難詰したということで、結局和解せずに終わったようです。小説のモデルにされて悪く書かれた人は広津和郎だけではなく、多くの友人があまり好意を持っていなかったようです。天才にとっては生活も友情も作品の材料にすぎないということなんでしょうか?何もかも犠牲にして文学に昇華させようとするなんて、まるで文学という宗教に身を捧げたかのようです。やはり天才の心中を推し量ることは難しいですね。

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夏目漱石 「二百十日」

夏目漱石は若い頃熊本で教師をしていましたが、1899年の9月1日に阿蘇山の登頂にトライしています。この作品はその時の経験をもとに書かれています。主人公の圭さんと友人の碌さんは阿蘇山の山頂を目指して登りますが、途中天候が悪化してあきらめます。実際に漱石も途中で嵐に見舞われて登頂は断念していますから、暴風雨で荒れる阿蘇の自然の様子や、足にマメができたり道に迷ったりという描写はおそらく体験記そのままだろうと思います。作品の構成は麓の宿での二人の会話に始まり、次が山道を行く様子、そして最後はまた元の宿での会話で終わります。会話が多くてテンポがいいのでスイスイ読み進みます。あまり深刻なテーマを投げかける作品ではないのですが、会話の中で碌さんがしきりに富裕層や特権階級への怒りを露わにしていますので、その辺に多少漱石の思いが含まれています。タイトルの二百十日というのは昔から立春から二百十日目くらいに台風が来て天候が荒れると言われていたのでそこからきています。この作品でえしぇ蔵が一番好きなのは漱石ならではのユーモアたっぷりの会話です。圭さんと碌さんが宿の他の客の会話を揶揄してる場面や、世間知らずの宿の女中との会話などは本当に絶妙な掛け合いで笑えます。実際、半熟卵のくだりでは読むたびに吹き出してしまいます。漱石のユーモアのセンスが遺憾なく発揮されているように思います。阿蘇の周辺ではこの作品に関するものがあちこちに見受けられます。漱石が登った登山道や宿泊した宿には文学碑があります。この作品を読んだ後に漱石と同じ宿に泊まり、同じ登山道を歩いてみるのもいいかもしれませんね。できれば9月1日ぐらいにね。ただし天候にはご注意を。

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