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蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

石川淳 「普賢」

えしぇ蔵にとって石川淳の作品との出会いがどれほどショックであったことか、うまく表現する言葉が見つかりません。個人的には横光利一以来のショックでした。流麗巧みな文章表現と完璧な構成はかなりの小説修行を積んだ後に満を持して書かれたもののように、どの角度から検証しても無駄も隙もない完璧なものに思えます。いろんな作家の作品を読んでると、「よし、頑張るぞ!」と励ましてくれるものも多いですが、石川淳の作品はことごとく、「自分にここまでの作品が書けるだろうか?」と、物書きとしての熱意を根本から大きく揺すぶられるようなものばかりです。そしてこの「普賢」は恐ろしいほど秀逸な作品です。昭和11年に芥川賞を受賞していますが、それくらいの評価は当然であり、日本文学史上においてももっと大きく賞賛されるべきものではないかなと思います。主人公はいわば作者の分身で、ジャンヌ・ダルクの伝記を書いた女流詩人クリスティヌ・ピザンの伝記を書こうと机に向かいますが、俗事に捕らわれたり、自分の中での目標を見失ったりしてなかなか先に進みません。そのへんの苦しみを、”知恵”を司る「文殊」と、”修行”を司る「普賢」を喩えにして表現した箇所が、まさに宝石のような輝きを含む名文で、何度も繰り返して読みました。「寒山拾得が文殊普賢の化身ならば、文殊の智慧などおよびもつかぬ下根劣機の身としては寒山の真似をするよりもまず拾得の真似で、風にうそぶき歌う前に箒をかついで地を払う修業こそふさわしかろう。しかし、かりにも拾得の箒を手にした以上、町角の屑を掻きあつめるだけではすまず、文殊の智慧の玉を世話に砕いて地上に撒き散らすことこそ本来の任務で、それなくしてはこの世の荘厳は期しがたく・・・」多少難解な文章ではありますが、繰り返し読むとじわりじわりと作者の言わんとすることが沁みてきます。この「普賢」のような作品が自分の人生で一つでも残すことができれば、物書きとして本望だなと思いました。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

田宮虎彦 「小さな赤い花」

子どもの頃に愛情が不足して育つことは、ある意味栄養の不足よりも深刻な問題かもしれません。世のお父さん方、お母さん方に愛情の不足が子どもの内面の形成にもたらす悲劇というものを知って頂く意味でも是非読んで欲しい作品がこの「小さな赤い花」です。悲しい話ですがこの作品の中で全編にわたって強く訴えられているのは子どもへの愛情の大切さです。これは作者の田宮虎彦自信がその生い立ちで痛烈に感じたことでもあります。この人は父親がどうもあまりいい人ではなかったらしく、愛情を受けなかったどころか、憎しみを受けて育っています。子どもの心ではどうして自分が憎まれるかわかりません。愛されたいのに憎まれるという辛さは大人でも耐え難いものです。ですがこういった成長期における辛い体験は、結局彼の創作における大きなテーマを生むという皮肉に到ります。自分の中にあった悲しみや怒りを形にして世に発表したものがこの作品と言ってもいいと思います。純粋無垢な主人公の少年は無邪気でやんちゃなごく普通の男の子ですが、粗暴な父親に一度も愛されたことがなく、母親と一緒に家を追い出され、母親の実家へと移るところから物語は始まります。少年は父親から離れることができ、母親といつも一緒にいることができるのでむしろ喜びに満ちています。しばらくは優しい母親との幸せな日々が続きますが、やがて母親は病気で亡くなります。そこからは完全に愛情に飢えた生活の始まりです。母親の優しい俤を胸に抱きつつも歩む方向を見失い、過ちを犯したりしながら日々を過ごしますが最後に彼を待っていたのはあまりに悲しい結末でした……。愛情というのは精神の栄養ですね。不足すれば心の病になり死を招くこともあります。人間なんてどんなに強くとも一人で生きていくのは無理ですよね。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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