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福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

永井龍男 「黒い御飯」

永井龍男は1920年、16歳の頃に「活版屋の話」という作品を文芸誌『サンエス』に投稿し、それが菊池寛の目にとまり文壇への足がかりを得ます。そして創刊直後の「文芸春秋」誌上において、この「黒い御飯」を発表しました。それが19歳の頃です。これには本当に驚かされます。何に驚くかというと、この作品を読んで頂ければ分かります。とてもとても、19歳の作品とは思えません。もう長年小説を書いて飯を食ってきたベテランが、円熟期に代表作の一つとして残しました、と言われても全く不審に思わないような、非常に優れた作品です。どう考えてもまだ社会の厳しさを十分には知らない十代の若者の作品とは思えません。最初からこんな感じですから、作家永井龍男がいかにすごいかということが理解して頂けるのではないかと思います。この作品は自分の貧しかった幼少期の体験を参考に書かれているようです。主人公の少年が小学校に入った春の日の家庭の様子から物語は始まります。少年の家はひどく貧乏で、上の兄二人はろくろく学校も出してもらえず、早くから一家の生計を助ける労働力として日々汗を流しています。主人公の少年が学校に行けるというのは両親や兄たちの苦労のおかげであって、感謝の気持ちを持って必死に勉強しないといけないということを厳しい父親が少年に諭します。少年はそれを聞いて泣きますが、その涙は家族への感謝の涙ではありません。自分が貧乏な環境に生まれついたことへの悔しさからくる涙でした。家族の犠牲の上に少年の幸福があるというプレッシャーは幼い心を圧迫します。そのやるせない心情が実に明確に表現されており、読み手の心理の奥を突いてきます。小説とは人の心を表現するものだということをストレートに教えてくれるような作品です。読後にしみじみとなにかが残る名作です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

田村泰次郎 「肉体の門」

田村泰次郎と言えば「肉体の門」と言われるほど彼の代表作とされる作品で、これまで何度も何度も映画化されてきました。この作品を映像化するとどうしても娼婦たちの裸体のシーンが多いのでポルノ映画のようになってしまうわけでして、ある意味そのへんをエサにしようという映画製作者側の下心も多少はあるのではないかと勘繰ってしまいますが、この作品のすごいところは田村泰次郎の発したいメッセージが思い切り盛り込まれているということなので、そのへんを理解しつつ作品を読むなり映画を見るなりして欲しいなと思うわけです。では彼が何を言わんとしているのか?それは彼のエッセイの中の一文を読んで頂ければすぐにわかります。「私は肉体の生理こそ、最も強烈にして唯一の人間的営為であることを骨身に徹して知った。人間のどんな考えも、肉体を基盤にしなければ頼りにならないものである。私は肉体から出たものではない一切の思想を、一切の考え方を絶対に信じない」ということなんですがお分かり頂けますでしょうか?いかなる思想もその前には肉体というものがある、人間の生理というものがある、ということを訴えたいわけですね。この「肉体の門」のストーリーはそれを分かりやすく物語りにしたと言ってもいいかと思います。戦後の荒廃した東京で、生きるための最後の手段を使ってたくましく生きる娼婦の群れに、ある日一人の荒くれ男が紛れ込みます。彼はやがて彼女らの頭目的立場になりますが、彼女たちはそれぞれ密かに彼を自分のものにしたいと思いつつ、彼女らの掟に縛られてそれを成しえません。そしてついに一人がその禁を破ったために、みんなでリンチにかけます……彼女らの中では野生が全てに先行し、肉体が主役となっています。理想も思想もありません。戦後の一時期に日本で見られたこういう光景は実は人間が思想という衣裳を脱ぎ捨てて原点に帰った時の姿とも言えます。そこを彼は表現したかったのだと思います。メッセージ性の非常に強い名作です。人間として、一度読んでおくべきものだと思います。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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