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福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

葛西善蔵 「遊動円木」

葛西善蔵を語る場合にはまずその破滅的な生き方が注目されます。常に貧乏の極致にいて家族や友人に迷惑をかけてばかりの生活なのに浴びるように酒を飲み、(その酒量のすごさは半端じゃありません)酔っ払った状態で極めて優れた作品を生むわけですから、天才というのは何を考えているかわからないものです。彼の文学への取組みにおける特徴として言えるのは、そういういわば”ろくでなし”状態を保つことがまずあげられます。そしてもう一つは友人を作品のモデルにすることです。それも平気でボロクソに書いたりします。当然友人は憤慨します。いわばだしに使うわけですから、そんなことを繰り返すうちに当然友人も離れていきます。この作品もそういういわくがついてるので、そのへんを理解した上で読むとまた興味深いです。内容としては主人公が奈良にいる友人夫婦のもとに一週間ほど遊びに行って、ある夜に夫人が公園の遊動円木に上手に乗ってみせるというこれといった起伏のない話なんですが、その友人というのが広津和郎のことらしいのです。友人は作品の中でも自分を小説の中で悪く書いたと抗議するシーンがあり、主人公は弁明しています。つまりはこういう諍いを葛西善蔵と広津和郎は度々やっていたようです。葛西善蔵の臨終の時にも広津和郎は枕元で難詰したということで、結局和解せずに終わったようです。小説のモデルにされて悪く書かれた人は広津和郎だけではなく、多くの友人があまり好意を持っていなかったようです。天才にとっては生活も友情も作品の材料にすぎないということなんでしょうか?何もかも犠牲にして文学に昇華させようとするなんて、まるで文学という宗教に身を捧げたかのようです。やはり天才の心中を推し量ることは難しいですね。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

夏目漱石 「二百十日」

夏目漱石は若い頃熊本で教師をしていましたが、1899年の9月1日に阿蘇山の登頂にトライしています。この作品はその時の経験をもとに書かれています。主人公の圭さんと友人の碌さんは阿蘇山の山頂を目指して登りますが、途中天候が悪化してあきらめます。実際に漱石も途中で嵐に見舞われて登頂は断念していますから、暴風雨で荒れる阿蘇の自然の様子や、足にマメができたり道に迷ったりという描写はおそらく体験記そのままだろうと思います。作品の構成は麓の宿での二人の会話に始まり、次が山道を行く様子、そして最後はまた元の宿での会話で終わります。会話が多くてテンポがいいのでスイスイ読み進みます。あまり深刻なテーマを投げかける作品ではないのですが、会話の中で碌さんがしきりに富裕層や特権階級への怒りを露わにしていますので、その辺に多少漱石の思いが含まれています。タイトルの二百十日というのは昔から立春から二百十日目くらいに台風が来て天候が荒れると言われていたのでそこからきています。この作品でえしぇ蔵が一番好きなのは漱石ならではのユーモアたっぷりの会話です。圭さんと碌さんが宿の他の客の会話を揶揄してる場面や、世間知らずの宿の女中との会話などは本当に絶妙な掛け合いで笑えます。実際、半熟卵のくだりでは読むたびに吹き出してしまいます。漱石のユーモアのセンスが遺憾なく発揮されているように思います。阿蘇の周辺ではこの作品に関するものがあちこちに見受けられます。漱石が登った登山道や宿泊した宿には文学碑があります。この作品を読んだ後に漱石と同じ宿に泊まり、同じ登山道を歩いてみるのもいいかもしれませんね。できれば9月1日ぐらいにね。ただし天候にはご注意を。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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