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福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

夏目漱石 「彼岸過迄」

夏目漱石は44歳の頃に胃潰瘍の療養のために修善寺の旅館に滞在しますが、そこで大量に血を吐いて危篤状態になります。医者が子どもを呼ぶように言ったというほどですからかなりひどい状態だったようです。しかし奇跡的に回復して自宅に戻ることができました。このことを一般に「修善寺の大患」と言います。まさに死の淵を歩いたこの経験を経て以来、夏目漱石の作風はあきらかに変わります。回復後に書いた作品でいわゆる後期三部作と言われるのが今回ご紹介する「彼岸過迄」と、「行人」と「こころ」です。この三つの作品にはどれも神経質で深く物事を考えすぎる人物が登場します。「彼岸過迄」においては”須永”であり、「行人」では”一郎”、「こころ」では”先生”がそれにあたります。鬱気味の人物の描写にはその頃の夏目漱石そのままの姿が垣間見えるようです。この「彼岸過迄」という作品では短編小説を繋げて長編小説にするという形式を試みており、「風呂の後」、「停車場」、「報告」、「雨の降る日」、「須永の話」、「松本の話」という章に区切られています。その中の「須永の話」において、特に夏目漱石の心理状態が反映されているように感じます。この頃は弟子が離れていったり、五女のひな子が幼くして死んだり(この時の様子は「雨の降る日」に描かれています)と、心労が重なっていたので、胃潰瘍の痛みとも相まってさぞかし苦しみながら書いたことだろうと思います。またそういう状況だからこそ、人の心の奥深くにあるものを表現できたとも言えるかもしれません。名作が生まれる背景にはよくあることですが、作者の実生活における苦しみというのは、何かを深く掘り下げて表現しようとする際には必要な要因の一つなのかもしれません。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

宮城谷昌光 「孟嘗君」

中国の戦国時代に「戦国四君」と呼ばれた人たちがいました。斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君の4人です。いずれも優れた政治家で、その所属した国に大いに貢献しました。孟嘗君は斉の人ですが、その才を買われて秦や魏にいたこともあります。この辺が面白いところです。日本の戦国時代もそうですが、敵の国に優れた人物がいるとヘッドハンティングして自分の国に呼ぶことはよく行われました。よく「二君にまみえず」と言って主を替えることは礼節を知らない人間がすることという認識が日本でも中国でもありました。ところが孟嘗君の場合は身の危険を感じてやむを得ず他の国へ移るということの繰り返しでした。あまりに優秀すぎること、真面目すぎることが禍していたのかもしれません。それでいくつかの国の間を移動しますがそれぞれにおいてその能力を発揮し、大いに活躍しました。孟嘗君のエピソードに必ず出てくる「食客3000人」という言葉があります。なんでもいいので一つでも人に優れた能力を持っている人を食客として迎えいれたそうで、その数が3000人はいたということです。その食客たちの能力をいろんな場面でうまく活用したことも孟嘗君の名前を高めた一つの要因です。戦場で敵をなぎ倒す勇猛果敢な武将ではなく、国のために巧みな政治手腕を発揮した宰相ですが、こういうタイプの人物は派手さがないのでなかなか歴史小説にするのは難しいところだと思うのですが、それが宮城谷昌光にかかれば見事な一大歴史ロマンになるわけです。心躍る壮大な物語に仕上がっています。孟嘗君の周囲の人々の活躍も見逃せません。史実の隙間に創作を流し込むのが歴史小説ですが、宮城谷昌光はそれを実に自然にやってのけます。荒唐無稽にもならず、また固くもならず。その辺の手腕は本当に優れていると思います。この作品を通じて是非それを感じて頂きたいです。

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