蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

永井荷風 「おかめ笹」

悪人ではない普通の人であっても、俗な考えに縛られてよくないことをしてみたり、そして失敗して後悔したりということは常にあることです。また人間というのは精神的に弱い生き物であって、それがたくさん集まることで社会というものが形成されているのだと思います。本当に心から善人で非の打ち所のない聖人君子などは存在しないと思います。そういう観点から永井荷風の作品を読むとしみじみと心に沁みてくるものがあります。いろんな欲に振り回されてあっちふらふら、こっちふらふら、そしてドジを踏んで後悔するけどまた欲が湧いてきて同じ失敗をする。読んでいて「まったくしょうがねぇなぁ」なんて思ってしまう登場人物がこの作品には出てきますが、それはきっと誰の中にでもある姿だと思います。自分はこんなんじゃないと思いながら読んでいても、どこか共感を持ってしまうのでつい許してしまう。この作品の主人公を見てるとそんな気持ちにさせられます。でも凡庸で愚かな主人公も偶然に幸福へのきっかけをつかみ、今度はそれに振り回されてどんどん人生が開けていきます。えしぇ蔵は実際の人生もそうだと思います。多くの場合、成功というのは偶然のきっかけがかなり作用していると思います。この作品を読んで、結局は人間というのは幸せにも不幸せにも振り回されて生きる愚かな生き物なんだと教えられるような気がします。何かに秀でた才を持ち、成功に向かって邁進する優れた人物ではなく、市井のありふれた、弱さをもてあましつつも自分なりに生きるごく普通の人々を描かせればやはり永井荷風の筆は他の追随を許さないものがあると思います。こういう言葉を残しています。「われは決して華々しく猛進奮闘する人を忌むに非ず。われは唯自らおのれを省みて心ならずも暗く淋しき日々を送りつつしかも騒し気に嘆かず憤らず悠々として天分に安んぜんとする支那の隠者の如きを崇拝すと云うのみ」なるほどこういう境地にある人だからこそこの名作が生まれたのだと理解できると思います。まさにそこにこそ永井荷風の文学の源泉があるのではないでしょうか。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

岡本かの子 「家霊」

もともとは歌人として出発した岡本かの子が、小説を本格的に書き始めたのは晩年だそうです(晩年といっても49歳で亡くなってますのでまだ40代後半の頃です)。でも結構作品があるので死ぬ前の時期の筆の勢いはさぞかしという感じです。この蔵書でも紹介している名作「老妓抄」を筆頭に、非常に優れた作品をたくさん残しています。この「家霊」も名作の一つに数えられます。どじょうを食べさせるお店の帳場で、老いた母親を手伝って働く娘の目から見たじーんと心に残る人間ドラマです。いつもどじょうを食べてもつけを払わない爺さんが、店の娘に若かった頃の母親の話などをします。この爺さんは簪を彫る職人なんですが、どうも若い頃から母親に対して恋心を抱いていたようで、自分で彫った簪を母親にプレゼントしたことがありました。ある日、母親はその簪が入った琴柱の箱を出してきて、「これだけがほんとにわたしが貰ったものだよ」と娘に語り、その箱を振ると中で爺さんが命をかけて彫った簪の音がするわけです。その音を聞いて母親が「ほ ほ ほ ほ」と笑います。その笑い声が「無垢に近い娘の声であった」と表現されているシーンは秀逸この上なしです。簪を出して眺めるのではないのです。ここが最も重要なポイントです。実物は見ずに振って音を聞いただけで、乙女のような声で笑うわけです。名シーンとはこのとです。これぞ純文学だと思いました。実現しない淡い思いをかすかに交わすほど美しいものはないと思いました。本当に心に残る美しい作品です。岡本かの子の文学の才能は確かに群を抜いて突出しています。そしてそのことを自分でも強く認識し、自負していました。自分は他の女流作家とは違うと明言していたほどです。文壇における評価は二分していましたが、評価する側はまさに手放しの賞賛で、林房雄などは論文で「岡本かの子は森鴎外と夏目漱石と同列の作家である」とまで表現しています。そこまでの評価を得る作家ですのでこの作品に見える才能の片鱗は決して偶然のものではなく、天性の確かなものの現れであると言えます。これを読んだ人はきっと他の作品も手にすることになることでしょう。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

山本有三 「真実一路」

誰しも生きていれば同じ悩みに直面することがあると思います。人生とはなんなのか?自分はこのままでいいのか?そういう疑問にぶつかってふと歩みを止めて深く悩んだ経験は、これを読んでいる皆さんにもあることでしょう。そういう時には家族や友人、恩師の助言というのは非常にありがたいものです。人の言葉のあたたかさを知るいい機会といえるでしょう。一方で人の言葉に匹敵するほど大きな励みになる本があることも事実です。その代表的存在と言ってもいいのが山本有三の作品です。この「真実一路」は壁にぶつかっている人にとっては暖かい励みになり、ありがたい参考になることでしょう。この作品では、自分の本当の生き方を貫こうとした時に果たしてその先に幸福があるのか?周囲の人間に影響ないのか?真実一路に生きて本当にいいのか?そういうことを考えさせられます。山本有三の作品はこれに限らず、”人生”という壮大で不可解なテーマに取り組んだものが多いので、まさに人生の参考書と言えます。どの作品でも主人公はまっすぐに生きようとするけど、いろんな困難にぶつかって苦労します。それでもくじけずに力強く生きていくというパターンが多いです。よくこんな深いテーマで作品が書けるものだと尊敬してしまいます。世代を選ばず多くの人に読んでもらうことを前提としているかどうかは知りませんが、非常に読みやすいのも特徴です。ちなみにこの「真実一路」という言葉は、北原白秋の詩「巡礼」の中からとられています。以下にその一節をご紹介します。

真実、諦め、ただひとり、
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。

山本有三は最初にこのタイトルを思いついた時に、確か北原白秋の詩に同じ言葉があったことを思い出して、それから北原白秋の許可を得て冒頭部分に「巡礼」の一節を入れる許可を得たそうです。人間、真実一路に生きるのは報われるためではありません。人間としてそうすべきであるからです。つらい道のりとなろうとも、真実一路に生きるべきなのです。この作品から学べることは非常に多いと思います。

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川崎長太郎 「路草」

川崎長太郎は私小説作家です。自らの放蕩の暮らしをリアルに描きます。この作品のストーリーも実体験がもとになっています。彼が若い頃にある女性を連れてN市に移り住みます。そこには彼の友人がいて、就職を世話してくれるということでしたがその話はうまくいかず、二人はすぐに窮乏します。仕方なく女性のほうがカフェに出て働くようになりますが、その間に就職活動をすべき彼はずるずるとヒモ生活に浸っていきます。そんな彼を尻目に彼女のほうはカフェで知り合った男性と楽しく過ごしています。彼はそれが面白くありません。彼女も不甲斐ない彼に愛想をつかしそうになりますが、腐れ縁で二人の仲はずるずると続きます。簡単に言ってしまえばよくある”だらしない男の赤裸々な生活の記録”です。葛西善蔵を筆頭に、太宰治、壇一雄など、多くの作家が自分のだらしなさをネタにしていますが、それらと同じ分類に属している部分はあるかと思います。ただ、完全に属しているわけではありません。例えば葛西善蔵になると本当にどん底まで落ちていって、その中で非常にリアルな悲鳴を上げてそれを記録しています。正真正銘の心の底からの叫びを作品にしています。ところが川崎長太郎の場合はまだ余裕が感じられます。どん底まで来ているように書かれてはいても、いざとなればまだ何とかなるという印象を無意識に読者に与えています。喩えて言うなら川の水の冷たさを知るために葛西善蔵は足の届かない深いところまで行って、冷たい!冷たい!おぼれそうだ!と叫んでいます。読んでるほうも死ぬんじゃないかとはらはらしますが、川崎長太郎の場合は膝ぐらいまで水に浸かって、川の水は冷たいと言っています。読んでるほうは、冷たいならさっさと岸に上がれよ、という感じであまり同情する気にはなれず、すぐ岸に上がれそうなのに上がらないその不甲斐なさに腹が立ってきます。余裕を残した破滅というべきでしょうか。単に破滅型と分類してしまうわけにはいかないので、そういう意味ではこれが川崎長太郎独自のスタイルと言ってもいいかもしれません。葛西善蔵と読み比べてみると非常に興味深いものがありますので是非お試し下さい。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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