蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

城山三郎 「硫黄島に死す」

映画でも話題になった硫黄島ですが、この作品の主人公は栗林中将ではなく、バロン西こと西竹一大佐です。父親は外務大臣を2度、枢密顧問官も2度経験した男爵、西徳ニ郎です。西大佐は父親の跡を継いだので男爵となりました。男爵を英語で”バロン”と言いますので、そこから通称”バロン西”となったわけです。男爵という華族の家に生まれたわけですから、幼い頃から親しむものも必然的に華族の嗜み的なものになります。西大佐の場合はそれが乗馬でした。陸軍に入る時も騎兵を選びました。そして彼の名前を世界的なものにしたのがオリンピックです。1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術大障害飛越競技で堂々の金メダルに輝きました。ちなみに日本はその後全くオリンピックの馬術競技でメダルを獲得していませんので、いかに西大佐がすごかったかがわかります。”バロン西”の人気は当時世界的な規模のものでした。今で言えばイチローのような感じでしょうか。なんと後にロサンゼルスの名誉市民にまでなっています。生まれも育ちもそれこそサラブレッドな彼ですが、性格は豪快で天真爛漫だったそうです。長身の美男子でお金持ちでしかも金メダリストですから人気が出ないほうがおかしいというものです。陸軍内においてもその人柄で部下に慕われたそうです。輝かしい人生を歩んでいた彼ですが、戦争は過酷な運命を与えます。硫黄島の守備のために戦車第26連隊の隊長として赴任します。そしてご存知のような激戦。ついに日本に帰ることはできませんでした。非常に華麗で悲惨で勇壮な彼の人生を城山三郎が実に見事に小説にしました。西大佐の魅力あふれる人間像を十分に知ることができると思います。痛快に生き悲しく散った若き命の輝きをこの作品から感じとって下さい。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

林芙美子 「浮雲」

林芙美子の作品の中でどれが好きか?とか、どれが傑作か?という話になればおそらく「放浪記」とこの「浮雲」で意見が二つに分かれるのではないかと思います。有名な作家や評論家の意見も分かれるようです。でもえしぇ蔵はこの二つの作品はちょっと性質が違いますから比較はできないと思います。「放浪記」は初期の頃にほとんど自分の体験をベースにした日記形式のいわば随筆のような作品で、「浮雲」は晩年に書かれた、完全に創作されたまったくの小説です。それぞれの分野でそれぞれいいですから比較するのは変かなと。この作品の舞台は太平洋戦争中のインドシナ半島から始まります。日本が占領したその地域の木材を利用すべく、日本のお役所から派遣された職員が現地で調査をしています。そこでタイピストとして働くことを志願した主人公の女性が、現地で働く二人の男性と三角関係に陥ってごたごたやっているうちに終戦を迎えます。その女性は日本に帰っても特に頼る人もいないので三角関係になったうちの一人の男性に連絡しますが、日本での彼は家庭持ちな上、現地の時ほど彼女に魅力を感じていないのであまり優しく接してくれません。それでもどうしても彼の存在が彼女には必要だったので追いすがって行きます。終戦後の荒廃の中で彼もだんだん身を崩し、二人の気持ちは荒んでいきます。必死で幸せを探す彼女と人生をあきらめる彼との悲しい絡みがずっしりと読み手の心に響きます。こういう作品の中にこそ真の林芙美子の実力が出ているのではないかと、えしぇ蔵個人的には思います。人間にはたった2種類しかありませんが、この2種類の違いは大変大きなものです。目の前の物事をどう捉えるか、そして何を大事と考えるか、更には次に何をなすべきか、という点において女性の答えは男性にはとても思いつかないものだったりします。感性と思考は2種類の人間の間であまり共通点を見出せない場合が多いです。そういう点から考えても女流作家の作品というのはやはり女性でしか書けないものになっています。それを顕著に感じるのが林芙美子のこの作品です。女流作家の親玉が女流ならではの持ち味をフルに発揮していますので、その素晴らしさを是非体感して下さい。

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宮尾登美子 「鬼龍院花子の生涯」

人生において大変な苦労を経験していないといい小説が書けないということはないと思いますが、苦労をした人が書くものには自ずと重みと説得力があるのは否定できない事実だと思います。ましてや宮尾登美子のように壮絶とも表現すべき波乱万丈な人生なら、その作品に重厚感が増していくのもうなづけます。では宮尾登美子はどんな生い立ちを経てきたか、簡単にご説明します。まず生まれは高知です。父親は芸妓や娼妓を紹介する仕事、いわゆる”女衒(ぜげん)”でした。荒くれどもの多い世界を渡り歩く必要があるので、父親もそれなりに地元では顔のきく人でした。つまり宮尾登美子はそういう荒っぽい世界の中で育ったわけです。そして結婚して満州に渡りますが、そこでご存知の敗戦の憂き目。乞食のようになって命からがら帰国します。(そんなこんなの波乱万丈は作品で読むことができますので是非どうぞ。)いくつもの試練を乗り越えながら強さを身につけ、多くのことを学ばれたわけです。ですからやはり作品に説得力が増すのは頷けます。この作品も自分の体験をベースに創作された作品ですが本当にリアルで迫力があって話の中に引きずり込まれていきます。それだけでもすごいのに、構成はきっちりと卒がなく、表現は流れるように美しいわけですから完璧といってもいいほどの完成度です。ストーリーはいわゆるやくざの家の栄枯盛衰を描いています。そう聞くとちょっとどぎつい作品かなと思われがちですが、女流作家特有の繊細で優しい文章だと抵抗なく読むことができます。この作品にはある種、エンターテイメント性があります。つまり読み手をぐっとひきつける面白さがあります。五社秀雄監督によって映画化されましたが、確かに映画にしたくなる作品です。とにかく面白いですから是非ご一読下さい。ちなみに五社秀雄監督の映画の中で、夏目雅子が啖呵を切って「なめたらあかんぜよ」と叫ぶシーンがありますが、これは原作にはないセリフですのであしからず。

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円地文子 「菊慈童」

円地文子は文化勲章も受賞した女流文学者の中の重鎮ですが、若い頃はその小説がなかなか評価されず苦労しています。世に出たのは劇作家としてであって、その時代が結構長く続きますが、人生も後半に入って華開きます。女流文学賞や野間文芸賞を受賞してからは怒涛の勢いという感じで傑作を次々に世に送り出しますが、惜しくも1986年に81歳で亡くなります。死の前日まで口述筆記で小説を書いていたそうです。その彼女の最後の完成された長編がこの作品です。いわば円地文子の文学人生集大成という感じです。人生と同じく作品も円熟しきっており、余裕すら感じられます。様々な日本の伝統・文化に造詣の深い彼女の知識がふんだんに盛り込まれているのも魅力です。テーマは「能」ですが、「日本画」も「石仏」もからんで、作品の幅を広げています。タイトルの「菊慈童」というのは能の演目の一つで、作品の中では八十歳を過ぎた能役者がこれを演じようとしています。その昔、周の穆王に愛された美少年がある過ちを犯して流罪になります。その流罪先で毎朝欠かさず法華経の中の二句の偈を唱えていました。そして偈を忘れてはいけないからと菊の葉に書きつけました。その菊の葉にたまった露が流れ落ちて川に入ったところ、川の水が天の甘露の霊薬になりました。少年が喉が渇いた時にその川の水を飲むと不老長寿を手に入れ、八百年以上も少年のままの姿を保ちました。少年は八百年後に魏の文帝にその偈を献上し不老長寿の水もすすめる、という話です。この話にはいくつかアレンジされたものがありますのでストーリーが若干違うものもあります。つまりこの「菊慈童」という演目を取り上げているところにこの作品のテーマがかぶっているというわけです。人生の終焉を迎えた人たちの最後の輝きを表現しようとしています。この作品は彼女にとっても最後の大舞台だったと思います。消える間際の灯火の見事な煌めきを見るような、そんな哀れと力強さを感じさせてくれます。

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