蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

井伏鱒二 「珍品堂主人」

小説を書く場合、ストーリーや背景描写に劣らず大事になってくるのが登場人物のキャラクターの確立です。これが明確に出来ていないと、どんなに面白い筋書きでも読者に与える印象が薄れますし、物語自体もどこか薄っぺらなものになります。読み手の頭の中にはっきりと、この登場人物はこういう人だというイメージを浮かび上がらせないといけません。そういう点において一つの参考になるのが井伏鱒二の作品です。登場人物が一つの型にははまらない独特のキャラクターを持っている場合が多いです。この作品の主人公は、悪事を働くなどもってのほかという完全無欠な善良なる人ではありません。一見善良そうだけど、ずる賢いところもあり、強がるけど臆病であり、非情のようでお人よしという、どうにも中途半端な性格を持っています。登場人物にそういう性格を持たせるというのが井伏鱒二のうまいところだと思います。ここにリアルな人間性が生まれてくるわけです。実際、人間の性格というのは単純に片付けることはできません。みんな誰しもいろんな顔を持っています。性格描写において複数の要素を持たせることによって、登場人物は立体化していきます。それでこそ人間を描いているということになると思います。だから井伏鱒二の作品の登場人物というのは非常に人間くさくて面白いわけです。この作品の主人公は骨董屋のおやじです。そのまま好きな骨董をいじって生きていけばいいのに、一発大勝負してみようと料亭を始めてしまいます。スポンサーを見つけて結構大きなお店を持って、一所懸命努力するわけですが、ずる賢さでは一枚上手の女性に見事にお店を乗っ取られてしまい、また元の骨董屋に戻るというお話です。読みながら、「しょうがないやつだ」と思いつつもどこか微笑ましさが残る、そういう作品です。面白さの中に少し寂しさを含ませて、読後の印象を深くする井伏鱒二ワールドを堪能することができます。井伏鱒二の人物描写の巧みさを是非感じてみて下さい。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

宇野浩二 「蔵の中」

これは宇野浩二の出世作です。この作品を機に文壇での地位を徐々に固めていくわけですがこれを書いた当時は貧乏のどん底だったそうです。そんな中で必死で書いたこの作品はその境遇とは裏腹に非常にユーモラスで、恐らく読まれる人は我知らず笑みが浮かぶことだと思います。この作品は、主人公の語り手が話下手ながらも一生懸命に聞き手に対して身の上話をしているという形をとっています。その軽妙な語り口にこの頃の宇野浩二の力量の一端を見るような気がします。語り手は着道楽で集めた様々な着物を、食うに困って片っ端から質屋に入れているわけですが、それがどうも心配になって質屋に頼んで虫干しさせてもらうという内容です。無理を言って主人の留守中に質屋の二階で自分の着物を干して、そしてこれまた自分が質入したふとんを敷いて、そこに寝ながら干してある着物を眺めていると、それらの着物の一つ一つにまつわる思い出が甦ってくる……という感じでとりとめもなく身の上話が進んでいきます。時々、聞き手が混乱してないか、飽きているんじゃないかと心配して、「皆さんの頭でほどよく調節して、聞きわけしてください。たのみます。」「どうぞ、自由に、取捨して、按配して、お聞きください。」「どうぞ、大目にみて聞いてください、たのみます。」「辛抱して聞いてくださいますか。」と途中で懇願しながら話を進めていきますがその様子が読み手に笑いを誘わずにはいません。こういう饒舌体はえしぇ蔵は個人的に大好きです。このストーリーは親しくしていた広津和郎に聞いた近松秋江の逸話をもとにしているそうです。近松秋江は質に入れた自分の着物を質屋の中で干して、質に入れた布団に寝てそれを眺めたということがあったそうです。ただその話をベースにはしていますが、それぞれの着物にまつわる女性の話は宇野浩二の経験談を元にしているそうです。宇野浩二は近松秋江の作品を高く評価しており、少なからず影響も受けているようです。ですからこの作品は近松秋江へのオマージュでもあるかもしれません。皆さんも是非ご一読下さい。読みながらきっと笑ってると思いますよ。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

灰谷健次郎 「砂場の少年」

灰谷健次郎という人はその作品の良し悪しをどうこう言うよりも、テーマに取り組む姿勢そのものを一番評価されるべき人ではないかとえしぇ蔵は個人的に思います。この人ほど子どもの教育ということに関して真正面から取り組み、児童文学という形で自分なりの意見をごまかすことなく明確に表現し、社会に対して訴えかけている作家というのもまずいないのではないかと思います。教育問題は是非の判断が非常に難しいものなので、それを作品化するというのは作家にとってある意味危険性をはらんでいます。書く側が良かれと思って書いたことでも違った受け止め方がなされ、賛同を得られるかと思いきや逆に抗議を受けたりすることはよくある話です。灰谷健次郎も被差別部落の子どもを描いた「笑いの影」において人種差別に対して抗議する姿勢を示しましたが、逆に部落解放同盟から描写に問題があるとして非難されました。おそらくこの作品に関しても賛否両論はあったろうと思います。灰谷健次郎の考え方が正解かどうかはえしぇ蔵にはわかりませんが、教育というものに関してもう一度考えなおしてみる一つのきっかけになることは間違いないと思います。教師が読めば教師なりに、子どもが読めば子どもなりに、親が読めば親なりに、必ずなんらかの影響を受けることでしょう。ストーリーを簡単に言うとよくある学園もので、新任の先生が札付きのクラスを任されて、その先生がどうやって多くの問題ある生徒たちの心をつかんでいくかという内容です。なんだ、そんなありきたりなのかと思わないで下さい。この作品に関してはストーリーはあくまで土台に過ぎません。灰谷健次郎はその上に主人公やその他の登場人物の発言を通して自分の教育論を展開しています。そこを是非読み取って頂きたいのです。教育に関わる仕事をしている方はもちろん、子どもをお持ちの方、そして小学生、中学生、高校生の皆さんに是非読んで、そして教育とは何か?学校とは何か?皆さんなりに考えてみて下さい。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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