蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

阿部知二 「冬の宿」

阿部知二は英文学者としても有名で、翻訳者でもあります。あまり知られていませんが、実はシャーロック・ホームズの翻訳者です。それからエドガー・アラン・ポオ(ちなみに東京帝国大学文学部英文科の卒業論文は「エドガー・アラン・ポオ」でした)の作品もそうですし、シェイクスピアの戯曲、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」、オスカー・ワイルドの「獄中記」、マーガレット・ミッチェルの「風に散りぬ(風とともに去りぬ)」、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」など、そして子ども向けにはマーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」、スチーブンソンの「宝島」なども翻訳しています。まさに翻訳の世界の重鎮でもありました。海外文学の評論も多く残しています。優れた海外の名作を日本に紹介するという面でも大いに貢献した人です。一方、小説において忘れてはいけない代表作がこの「冬の宿」です。読んでいくとわかりますが、舞台は日本なのにどこか海外の小説を読んでいるような雰囲気があるのは、海外文学に造詣の深い阿部知二ならではの特徴なのかもしれません。主人公の学生がある家庭に下宿することになり、その家族の日々のドラマを第三者的に観察し、また時には巻き込まれもしながら、底辺の人間の暮らしの実態を知ってそこから何かを学んでいく……というストーリーです。こんな感じで主人公が何かをするわけではなく、まわりの人間の生み出すドラマを観察するようなパターンは彼の得意とするところです。卓越した技術を思い知らされるのは登場人物の個性の描写です。一人一人の性格が非常によく表現されていて、どの人物もドラマの中で生き生きとその存在感を主張しています。架空の人物の個性をはっきりと描写できるというのは、やはり登場人物の存在感をはっきりさせる傾向にある海外文学から多くを学んだからだろうと思います。広く海外の文学を素養とした、有無を言わさぬ実力者の力作ですからここまでの作品に仕上がっているのも当然なのかもしれません。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

葛西善蔵 「子をつれて」

古今東西、極めて優れた作家というのは必ず不幸を背負っていました。裕福な家庭に生まれ何不自由なく成長し、順調に優れた作品を発表して多くの人に惜しまれながら幸福な生涯を閉じたという作家で文学史に名を残した人がいればどうぞ教えて下さい、と言いたいくらいそういう人はまずいません。これはなぜでしょうか?同じことが画家や音楽家でも言えます。人間の脳は懊悩することによって思わぬ創造力を発揮するようなしくみになっているのでしょうか?よく精神を病んだ人と天才とは紙一重だと言いますが、あながち誤りではないのかもしれません。苦しみぬいて精神に異常をきたした時に名作を生んだという人は珍しくありませんからね。葛西善蔵はどん底の生活の中で苦しみぬいて、それをそのまま小説として残すことによってしっかりと文学史に名を残しました。しかもこの人の場合は自らそういう境地に堕ちていった面もあります。文学のために敢えてそういう道を選んだのかもしれません。この作品はそんな彼の堕落した生活から生まれた名作です。まさに葛西善蔵の独壇場とでも言うべき、頼りない男が右往左往しながらだらだらと生きていくパターンの作品で、読んでいてあまり気持ちのいいものではありません。でもこの世界は葛西善蔵が作り上げた「心境小説」ならではのもので、文学史においては非常に高く評価されています。大正の終わり頃から昭和の初めくらいまでは特に賞賛されていたようで、「純文学の象徴」とまで言われていたそうです。葛西善蔵が死んだ時は、「日本の純文学が滅んだ」と言われたということですからよほど文壇にも影響を与えていたことでしょう。宇野浩二は「日本人の書いた、どんなすぐれた本格小説でも、葛西善蔵が心境小説で到達した位置まで行っているものは一つもない」と言っているほどですからいかに素晴らしいものであるかがわかります。彼がどん底で何を見たのか、どんな心境に達していたのか?是非この作品で確かめてみて下さい。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

有吉佐和子 「華岡青洲の妻」

まず華岡青洲という人から説明しないといけませんね。医療関係の人なら知らぬ人はいないでしょう。世界で初めて麻酔による手術をした人です。しかも江戸時代にです。江戸時代の日本の医療なんてヨーロッパに比べればかなり遅れていたわけですから、まさか日本人が最初とは思わなかった人も多いことでしょう。ただそれ以前に成功したという例(例えば中国の華佗など)もあるようですが実例として証明されているものとしては世界初だそうです。すごい日本人もいたもんです。この物語では華岡青洲が麻酔を開発し、それによって乳癌の手術を成功させるまでの苦労が描かれていますが、物語のタイトルには「妻」となっています。そうです、主人公は妻のほうなんです。そこが面白いところです。女流作家の視点で偉人を描くとその人の違った側面が窺えますし、支える家族の苦労にも焦点をあてるので、男性が描く英雄譚にはない面白さとあたたかみがあります。華岡青洲の妻は夫を支えるべく粉骨砕身努力しますが、ここに嫁姑問題が絡んできます。母親も華岡青洲を溺愛しており、嫁にその愛情を占有されるのを良しとしないわけです。どこの家庭にも見られる状況がここにもあるわけです。それが徐々にエスカレートし、華岡青洲が麻酔の人体実験を試みる段階で、その実験台になりたいと二人が争う場面でピークを迎えます。かつてジェンナーも天然痘の治療法の開発において使用人の息子や自分の息子を実験台にしましたが、医療の進歩において避けて通れないのが人体への実験です。そこに至って逡巡する華岡青洲のために自分が犠牲になると言って譲らない母親と嫁はここで凄まじい愛の修羅場を演じます。息を呑むような激しい言葉のやりとりは圧巻です。結局両方実験台になるわけですが、その後思わぬ悲劇が待っていました……。日本の医学史上に残る素晴らしい業績を残した華岡青洲とそれを支えた二人の女性の物語はただの感動ものではありません。もっともっと人間的で深いものです。なかなか考えさせられるものがあります。

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宮本百合子 「伸子」

宮本百合子。共産党の方たちにとってはまさにジャンヌ・ダルクのような伝説的ヒロインでしょう。旦那さんはこれまた共産党の大ボス、カリスマ、英雄である宮本顕治です。プロレタリア文学の世界においては戦前、戦中、戦後と活躍し続け、挫折したり転向したりする作家も多かった苦難の時期を見事に初志貫徹。その強い姿勢によって伝説化した超大物女流作家です。ではこの作品はプロレタリア文学なのかというと違うんですね。これは初期の頃の作品で、まだプロレタリア文学は草創期の頃です。内容はある先進的な考えを持つ伸子という女性が主人公で、自分の理想を実現するために周囲の反対をしりぞけて結婚しますが、徐々に相手の男性に対する失望が生まれ、理想は少しづつ崩れていきます。思うままにならない人生に煩悶を覚える中、伸子はある女性と知り合います。男性に頼らず自立して力強く生きているその女性との出会いは伸子にとって大きな刺激となりました。そして伸子は未練たらたらの旦那に対して離婚を決意した手紙を書き、新たな人生に踏み出していきます……。宮本百合子は一度離婚していますが、その時の自分の体験をもとにしています。自分は女性だけどこれからの時代、自分の意見をはっきりと持って生きていきたい、という思いが当時の日本の伝統を重んじる環境や小市民的な旦那の消極的な生き方に阻まれていくというストーリーには、日本の女性の生き方を変えていきたいという作者の熱い思いが込められています。今では女性がどういう生き方をしようがそれは本人の自由です。努力次第で経済的にも立派に自立できます。また社会の環境や世相もそれを否定するものはもはや見受けられません。だから今の若い世代の女性がこれを読むんでも共鳴するものがあまりないかもしれませんが、過去にこういう時代があったこと、そして社会に白い眼で見られながらも意志を貫いた女性たちによって現代のような自由な時代が切り開かれたことを知って頂くためにも是非読んで欲しい作品です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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