蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

有吉佐和子 「恍惚の人」

女流作家の中でもこの人は取り組んだ問題を徹底的に調べるところが非常にすごいと思います。まるで女流松本清張という感じでしょうか。いろんな問題に取り組んで作品を世に出し、社会に対して訴えるその姿勢は読む人の心を強く動かします。この作品は老人の痴呆、今でいう認知症をテーマにした作品です。発表されたのは昭和40年代ですので、まだまだ認知症に対する社会の認識は低く、行政も行き届いていない頃でした。作品の中の記述にありましたが、老人の痴呆は虫歯と同じく文明の発展が生んだものだそうです。つまり、昔はこんなにいろいろなものを食べなかったので虫歯はなかったし、こんなに長生きしなかったのでボケる人も少なかったというわけですね。現代を生きる我々が取り組まざるを得ない新しい問題なのです。老いは絶対に誰にでもくるもので、今若いからといってこの問題に無関心でいるというのは未来の自分を蔑ろにしているのと同じです。個人が、社会全体が、正面からこの問題に取り組んで、今の老人、未来の老人のために行動を起こしましょう!という強い訴えが作品を通じて伝わってきます。この作品は当時ベストセラーになり、老人の介護問題が大きくクローズアップされ、現実に社会に対して大きな影響を与えることに成功しました。ですから日本の社会全体の発展に寄与したと言ってもいい作品です。構成も文章も完璧で、作品としての完成度も素晴らしいです。この作品は一人でも多くの人に、特にいづれ老いることを認識していない今の若い人たちには読んで欲しい一冊です。ちなみにこの「恍惚の人」というタイトルは、「日本外史」の中の三好長慶に関する記述の中の「老いて病み恍惚として人を知らず」という一文からひらめいたそうです(三好長慶は戦国時代に近畿地方に覇を唱えた大名ですが、相次ぐ肉親の不幸により精神的な病に犯され、43歳にして亡くなります。おそらく痴呆のような状態ではなく、今でいう欝のような状態をそのように表現されたのではないかと思います)。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

宇野千代 「人形屋天狗屋久吉」

人形浄瑠璃をご存知でしょうか?人形を動かしながら語られる劇ですが、これが非常に盛んであったのが阿波です。藩主蜂須賀家によって庇護されたことにより、江戸時代から阿波の伝統芸能となりました。そうなるとその人形を作る職人の技もまた代々受け継がれていき多くの優れた人形師が出たわけですが、明治から昭和初期にかけてその優れた技術と新しい発想で阿波人形浄瑠璃の隆盛を支えたと言われるのが天狗屋久吉(略して天狗久・本名は吉岡久吉)という人です。この人は人形をより写実的に作る試みをしたり、目にガラスを使うという技法を考案したりして阿波人形浄瑠璃の発展に大きく貢献しました。その生涯で手がけた人形の頭は1,000以上だそうです。中には徳島県文化財に指定されているものもあります。人形を制作する際に使用した道具などは国の重要有形民俗文化財に指定されています(徳島の天狗久資料館に行けば詳細に知ることができます)。宇野千代はある人形を見て感銘を覚えますが、その作り手がこの天狗屋久吉でした。そして阿波の徳島を訪れて本人に会います。その時はかなり老齢に達していた天狗屋久吉にインタビューをしていろいろと話を聞き、それを身の上話のような形で語り口もそのままに物語化したのがこの作品です。宇野千代とくれば「おはん」や「色ざんげ」などの色恋の作品が連想されるので、この作品を読むときっと「え?これが宇野千代の作品?」と思う人は多いと思います。この作品によって宇野千代は一つの芸を極める世界というのを知って大きく影響されたのではないかという説もあります。いかにして弟子入りしたかというところから始まり、人生の様々な苦労と技の鍛錬の足跡を作品の中で老職人は淡々と語ります。人形の世界の奥の深さ、職人として生きる者の道というのを宇野千代と一緒に教えられているような気分になれます。どの道を選ぶにしろそれを生涯かけて究めつくすということの素晴らしさを知ることができるという意味でも非常に優れた作品です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

宇野浩二 「子を貸し屋」

宇野浩二は通称「文学の鬼」と言われました。言われたというのはちょっと的外れな表現かもしれません。というのは宇野浩二自身が自分は文学の鬼だ、小説の鬼だと言っていたので、やがて周囲がその表現を使うようになったというのが正しいようです。それも自分が鬼そのものだと言っているのではなく、鬼にとりつかれた男だと表現しています。これはどういう意味でしょうか?普通は仕事のこととプライベートのことは時間的にも区切りを設けて一線を引いている人がほとんどでしょうが、作家というのは日常の生活そのものが仕事につながっているので死ぬまで文学というものから逃れられないということを意味しています。特に宇野浩二は自分のまわりで起こる出来事を題材にしたり、周囲の人をモデルにしたりしていましたので尚更そうだったといえます。頭の中はいつも文学のことで一杯で、誰と話しても文学の話ばかりしていたそうです。なにも彼が特別そうだったのではなく、当時活躍していた作家はみんな似たようなものだったようです。思えば鬼がたくさんいた時代はいい作品が多いです。宇野浩二は福岡で生まれました。今の中央区荒戸1丁目です。でもすぐに大阪に行くのであまり福岡出身という感じがありません。大阪の家が花街に近かったせいかどうか知りませんが芸妓との交流が深く、そういう体験が作品の中に生きています。基本的に私小説が多いですが、この作品は全くのフィクションです。かわいい男の子と二人で暮らす佐蔵のところに芸者さんがやって来ます。そして、自分は子どもが好きだから一緒に連れて歩きたいのでちょっと子どもを貸してくれと佐蔵に頼みます。断る理由もないので貸してあげるわけですが、その後も何回も借りに来ます。そして他の芸者さんまで借りにくるようになったので、佐蔵はそれを商売にして繁盛します。でもみんなが借りに来る本当の理由を知った時・・・さぁ、佐蔵はどうするでしょう?面白い話を考え出すもんです。鬼の実力とはどれほどのものか、是非味わってみて下さい。

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久保田万太郎 「火事息子」

大きな商業施設に入るようないわゆる大手の新刊本の本屋さんに行っても1冊もその作品が見つからないというかつての大物作家は今やめずらしくありませんが、久保田万太郎までがその中に入っているというのは非常に残念でなりません。大正から昭和にかけて、小説、俳句、戯曲において縦横無尽に才能を発揮し、日本文学の歯車を全力で回してきたと言ってもいい人ですから、本屋さんで見つからないということは本来あってはならないことなのです。日本人の文学への無関心もここまできたかと悲しい限りです。微力ながらここで紹介して一人でも興味を持ってくれる人が出て、本屋さんで注文してくれるようになればとかすかな希望を抱いています。久保田万太郎の作風はとにかく人をひきつける面白さを持っています。軽妙洒脱な語り口が非常にユーモラスで人情味あふれています。そうです、とにかく”人情”というものに重きを置いている感があります。小説においてはその作風でひたすら浅草の街と人を描き続けました。下町の人情を、情緒あふれる古きよき浅草を描いて少しでもその良さを後世に伝えたいという意気込みが感じられます。この作品は「重箱」という名のうなぎ屋さんを舞台に展開される人間ドラマです。小学校の同級生に実際に「重箱」という名のうなぎ屋(当初は川魚屋)の息子がいたそうで、その人をモデルにして書いたそうです。主人公の独白体で書かれていて、友達にでも話しかけるように気さくにユーモラスに、そしてわかりやすく書かれています。非常に読みやすいですしそんなに長くないので時間がある人なら一日で読んでしまうと思います。(えしぇ蔵はこの本を京都に旅行した時に買いましたが、帰りの新幹線の中で読んでしまいました。)登場人物が非常に人間くさく人情味があって、読んでいて心温まるものがあります。この作品をきっかけに、こういう素晴らしい作家もいたんだと一人でも多くの人が気付いてくれたら本望です。

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