蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

石川達三 「蒼氓」

これまでの歴史において他の国への移住が最初から成功だったという例はほとんどないのではないでしょうか?移住先は住みやすく仕事もあって将来性があるという類の宣伝文句に魅了され、大きな夢に胸を膨らませて渡った先には予想もしなかった過酷な環境が待ち受けており、移住前に劣らない苦しみを味わったあげく、夢は次世代に託されて1世はむなしく異郷の土になる・・・どれも大よそこういった悲しい共通性はあると思います。かく言うえしぇ蔵の祖父も南の楽園フィリピンにおいて大きなチャレンジをしましたが、太平洋戦争によって夢は潰え、家族を連れて日本に戻りました。そういった悲しい体験が既に歴史上において何度も繰り返されていますので移民に関する物語というのはいくつも生まれてきました。その中においても出色の出来であるのがこの作品です。昭和初期、東北の貧しい人たちは苦しい生活から逃れるために国の政策であるブラジル移民に最後の希望を託します。夢を抱いて海を渡った彼らを待っていたのは国が宣伝していたような夢の土地ではありませんでした。事実に基づいた悲しい物語が、”移民の人たちが乗船するまで”、”海を渡る船中での日々”、”到着して現実を知るまで”の三部に分けて書いてあります。非常にリアルに描かれていますが、これは石川達三の実体験によるものだからです。彼は数ヶ月ですがブラジルに渡り、農場の生活を体験しています。彼はこの作品によって記念すべき第一回芥川賞を受賞(受賞したのは三部のうちの第一部で、二部と三部はその後に発表されました)しています。新人ながら太宰治、外村繁、高見順らをおさえての快挙でした(ちなみにこの時「逆行」で候補となっていた太宰治が受賞を逸した際に選者の川端康成の自分への批評に対して憤慨した話は有名です)。作品の質や文学史的位置において注目すべきことは言うに及ばずですが、何より悲しい移民の歴史について知って頂くためにも読んで頂きたい一冊です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

夏目漱石 「草枕」

夏目漱石が日本を代表する作家であり、知名度も実力も群を抜いているということを否定する人は、よほど独自の道を行く評論家でもない限りいないでしょう。ですが本当にみんな正しく評価しているのでしょうか?そこはちょっと疑問ですね。有名だから読む、読んでおかないと恥だから読む、そういう人も多いのではないでしょうか?夏目漱石は名声ばかり先に立って、その実力を正確に評価されているとは言い難いのではないでしょうか?ここではっきり強調したいのですが、夏目漱石は恐ろしいほど優れた文学者です。文章の巧みさ、テーマの深さ、全体に感じる余裕・・・この人ほどの作家はもう出ないと断言してもいいのではないかと思うほどです。その優れた面の一つとして冒頭の書き出しのうまさがあります。えしぇ蔵は川端康成の「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」や、島崎藤村の「破戒」の「蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏つゞきにある二階の角のところ。」、梶井基次郎の「桜の樹の下には」の「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。」などが好きですが、それらを抑えて最も好きなのはこの「草枕」の冒頭です。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」このリズム感ある始まりはあまりにも有名ですので皆さんもご存知でしょう。個人的にはこの一文だけでどれだけ自分の文学精神が動かされたことかわかりません。作品全体の美しさも筆舌に尽くしがたいものがあります。作品の中では芸術とはなんぞやということが登場人物の口を通して語られますが、この美しい作品こそまさに言葉という絵の具をもって描かれた芸術です。どの角度から見ても申し分ない名作ですが、夏目漱石にとってはこれも数ある名作のうちの一つに過ぎないのですから恐ろしい話です。

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円地文子 「女坂」

男は世の中のために何か大きなことを成し遂げて、それで財を築いて一家を成すべきだという風潮は日本の社会において昭和の前半ぐらいまでしっかりと残っていました。これは気概ある男を育てるという意味では非常にいいことだったのではないかと思いますが、それと同時に必要性を疑いたくなる風潮も伴っていました。それは成功した男は妾を持って当然というものです。妾を囲っていることは当時一つのステータスでした。立派な男としての証のようなものでした。えしぇ蔵の父方の祖父は、曽祖父が築いた財産を引き継いだおかげで町ではある程度のステータスを誇っており、ちゃっかり妾もいました。えしぇ蔵が子どもの頃、友達の家にはおばあちゃんが2人しかいないのに、どうしてうちには3人いるのだろう?と不思議に思った記憶があります。(ちなみに曽祖父の築いてくれたものは祖父の蕩尽により父にはほとんど伝わりませんでした。)男にしてみれば勝手し放題でいいでしょうが、周りの家族にはたっぷり不幸を味あわせることになります。特に正妻にとってはただ辛いだけの人生をひたすら耐えて生きていかなければならないという現実がありました。この作品はささやかな家庭の幸福というものを得ようとしても得られなかった一人の女性の生涯を悲しく描いています。主人公は夫の辛い仕打ちの繰り返しに憎しみを覚え、距離を置くようになります。そしてついに主人公には最後まで家庭的幸福は訪れませんでした。円地文子がその力量により、そんな苦しみに耐える女性の姿を見事に描いています。これほど細やかに女性の内面的葛藤を描ける人というのもそういないのではないでしょうか?文章がまた秀逸です。高度に芸術的な文章なのに読みやすい、まさに円地文子の本領発揮という感じです。この作品を通じて、当時の耐え忍ぶ女性の実態を知るというのも一つの学びになると思います。

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宇野千代 「色ざんげ」

才色兼備の女文士、宇野千代は多くの追随者を生んだ傑作を世に残して98年6ヶ月の人生を終わりましたが、中でもこの「色ざんげ」は恋愛小説の古典といわれる名作中の名作です。よく太宰治は男性なのに女性の心理を見事に描写していると言われますが、この作品を読むと宇野千代が女性なのに男性の心理を見事に捕らえていることに驚かずにはいられません。この物語は画家の東郷青児の心中未遂事件をモチーフとしています。その取材のために東郷青児を訪問し、そのまま同棲してしまうなんてまさに宇野千代的展開ですね。彼女の恋愛遍歴はそれは賑やかです。代表的なところでは東郷青児のほかに尾崎士郎、北原武夫が有名ですが、こういった経験が彼女の作品の幅を広めないわけがありません。自分の思うがままに生きる、そのこと自体がまさに芸の肥やしとなっていったのでしょうね。ところでこの小説の読者をぐっとひきつけて離さない魅力はどこからきているのでしょうか?おそらく皆さんもこの作品を手にして、冒頭から読み始めるとなかなかやめられなくなることに気付くと思います。続きが気になってやめられないのです。これは彼女の得意な”聞き書き”というスタイルで書かれていることが原因です。つまり、作者が主人公にインタビューをして、主人公が語るままに記録したような形式なので、読者はまるでインタビューの場に一緒にいるかのように話にひきこまれてしまうのです。主人公の画家と3人の女性との間の恋愛の記録は、ドラマティックな展開をみせますが、悲しみがある中にもどこか冷めた感じもして、不思議な読後感を残します。名作というのは一言で表現できない魅力を持っているものですね。宇野千代の実力を知るには十分の作品です。稀代の女文士の傑作を是非読んでみて下さい。

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