蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

陳舜臣 「諸葛孔明」

吉川英治を筆頭に、柴田錬三郎、北方謙三などなど、三国志を書いた作家は本当にたくさん存在します。いづれも羅漢中の原作をもとにアレンジを加えてオリジナルの三国志となっているわけですが、史実に基づいたテーマ自体が面白いのでおおよそ誰の作品を選んでも面白く読めるのではないかと思います。一人の作家に絞らず、作家を変えて何度も読むとまた面白いと思います。えしぇ蔵も5人以上の作家の三国志を読みましたが、その多くに共通するのは諸葛孔明の見事な采配です。常に冷静沈着に先の先を読んで千軍万馬を縦横に操り、敵の意表をついて向うところ敵なしです。前半において苦労を積み重ねる玄徳らを一挙に一国の主にまで押し上げる活躍に胸のすく思いを感じるのは誰しも共通ではないかと思います。読者を喜ばせようと豊富にエンターテイメント性を含んでいる作品なので、まるで完全無欠のように描かれていることが多い諸葛孔明ですが、史実はどうだったのでしょうか?もはや想像するしか術はないわけですが、ここにおいて別の見方を試したのが陳舜臣の「諸葛孔明」です。この作品では諸葛孔明はより現実的に描いてあります。完全無欠の天才軍師としてではなく、弱い面もあるし失敗もするが、努力と誠意と知恵によって道を切り拓き、苦労しながらも蜀の国を引っ張っていく一人の人間として描かれています。そこが非常に面白いところです。雲の上の人とするのではなく読者と同じ目線を持った人間として描くことによって生まれてくるものはなんでしょう?それはただ呆然と上を仰ぎ見るだけの崇拝ではなく、勇気と希望を与える尊敬です。つまり今の時代に生きる人々に大いに参考になる存在となるわけです。この描き方はある意味勇気ある試みですが、非常に賞賛されるべき手法だと思います。三国志としても、一人の人間の生き様を描くドラマとしても面白く読める作品です。ここらでちょっと一味違う諸葛孔明の活躍を読んで見てはいかがでしょうか?

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藤原てい 「流れる星は生きている」

先の戦争は様々な国に大変な悲劇を及ぼしました。日本は負けて、悔しさを噛み締めた人は多かったと思いますが、一方で生きる喜びを噛み締めた人も多かったのではないかと思います。やっと開放されたと思った人も多かったでしょう。ところがこの戦争が終わった瞬間から地獄が始まった日本人もかなりの数にのぼることを今の平和な時代に生きる私たちは忘れてはいけません。その明暗を分けたのは、戦争が終わった時にどこにいたかということです。夢を抱いて大陸に渡っていた一般人は戦争の終結から本当の地獄が始まりました。満州、中国、朝鮮にいた人たちはいわば敵中に取り残された形になりました。そこから決死の脱出が始まるわけですが、故国への道はあまりに遠すぎました。彼らの日本への長い道のりは多くの悲劇と死者なくして語れません。ソ連や中国の兵隊だけでなく、一般人も暴徒となって襲ってくるというのにこちらは武装解除されてなす術もありません。人としてただ生きるための最低のラインまで落とされることになります。それらの悲劇の多くは当事者の死によって多く闇に葬られましたので、無事に日本に生還した人の体験記によってしか知ることができません。そこでえしぇ蔵がお勧めするのがこの藤原ていの「流れる星は生きている」です。藤原ていは山岳小説で有名な新田次郎の奥さんで、数学者の藤原正彦の母です。彼女とその家族の壮絶な脱出劇には圧倒されます。人間は追い詰められるとここまで非人間的にもなれるし、また強くもなれるということを思い知らされます。そこにはただ生きるためにのみ必死になる人々の姿が赤裸々に描かれています。実体験から書かれたものというのはやはり迫力が違います。今を生きる私たちはこの作品を読んで、こういった生死の境で戦った人々の強さのおかげで今の日本があるのだということに感謝すべきだと思います。絶対に後世の日本人に伝えるべき傑作です。

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太宰治 「道化の華」

この作品を読んだのは東京にいた頃でした。自分も小説を書きたいと思って真似事をしたりしていましたが、これを読んでかなりのショックを受けて、小説を書くということはとても自分ごときレベルではなし得ないことなのだと痛感させられたのを覚えています。最初の数ページを読んで頂くだけでわかりますが、恐ろしいくらいのハイレベルです。ストーリーが面白いとか、文章が美しいとか、構成がしっかりしているとか、人物描写が巧みとか、そういう次元は超越してもっと先へ行こうとして新たな道を探っている小説という印象を受けます。小説というものに対する一般の既成概念を崩そうと実に果敢に挑戦しています。前衛的であり、実験的であり、抽象的です。例えば人称が入れ替わる点には最初かなり戸惑いを感じます。主人公の大庭葉蔵が「僕は・・・」と語っているかと思いきや、急に「大庭葉蔵は・・・」と視点が変わります。そうかと思えば今度は作者が登場したり、と読み手の視点を定まらせずに物語は進んで行きます。読みながら、あれ?あれ?の連続です。一度でさっと読むことができません。同じ箇所を何度か読み直しながらでないと先に進めません。太宰治に翻弄されっぱなしです。きっと戸惑う読者を思い浮かべてほくそ笑みながら書いたのではないかと思ってしまいます。この作品、もともとは普通の小説として書いたものを後から形を変えていったそうです。普通に描いたデッサンを徐々にデフォルメして抽象絵画を描いていくような感じでしょうか?川端康成や志賀直哉の作品をルノワールやモネやスーラに例えるとすれば、確かにこの作品はピカソ、ミロ、クレー、カンジンスキーの作品を連想させるものがあります。しかもこの作品はデビューの頃に書かれていますからさらに驚きです。いまや伝説となった人の類稀な才能にあなたも触れてみて下さい。

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