蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

新田次郎 「アラスカ物語」

山岳小説が得意な新田次郎ですが、この作品は同じ自然でも極寒のアラスカが舞台です。そこで活躍したフランク安田という日本人の生涯を描いています。このフランク安田という人がとんでもなくすごい人なのです。日本においては歴史上の英雄としてはめったにとり上げられることはありませんが、この本を読めば彼こそ英雄だと、それも日本が世界に誇ることができる数少ない英雄の一人だということが分かります。ではどんなすごい人だったのでしょう?フランク安田は明治の頃に既に商船で働いており、太平洋を渡っていました。やがてカリフォルニアで沿岸警備船に乗るようになります。その船がある日アラスカで寒波のために動けなくなります。そこでフランク安田は救助を呼ぶために単身、イヌイットの村へと向いますが途中で遭難してしまいます。そこをイヌイットによって助けられ、彼は村に到着することができます。そこから彼とイヌイットの交流が始まります。結局彼はその村に定住することになり、徐々にイヌイットの一員となっていきます。やがては村のリーダー的存在にまでなり、疫病や飢餓から村を救うために奔走し、自らの生涯をイヌイットのために捧げます。彼の働きにより村は栄え、その貢献度は広く知れ渡ってイヌイットの間では伝説の人物となり、”アラスカのモーゼ”とまで呼ばれるようになります。彼は長命で、1958年に没した時はなんと90歳でした。ついに日本に帰ることはなかったそうです。一つの村、一つの民族を救うために己を犠牲にする生き様を、新田次郎がアラスカの過酷な自然に絡めて実に見事に描写しています。こんなにもスケールのでかい日本人が海外で活躍していた事実を我々日本人があまり知らないというのは情けない話です。これを読んで是非多くの人に知って欲しいと思います。

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山本周五郎 「赤ひげ診療譚」

歴史小説となるとすぐに連想するのは戦国時代ものであったり、幕末動乱ものであったりします。そうなると主人公は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、あるいはそれに続く戦国武将たちであったり、西郷隆盛、桂小五郎、坂本竜馬、大久保利通、高杉晋作、あるいはそれに続く幕末の志士たちであったりする場合が多いです。いわゆる歴史上の偉人たちの出番が多いわけですが、歴史小説というのはその範囲にとどまるものではありません。時代が過去であれば主人公は偉人でなくても構わないわけです。ここで紹介する山本周五郎の小説の主人公というのは、市井で普通に生活する一般人であることが多いです。これはどういうことを意味するかというと、つまり彼の作品というのは普通の人の目線から書かれているということです。舞台こそ過去の日本ですが、そこに描かれているのはどこにでも起こりうるような人間ドラマであって、主張しているのは人としての正しい生き方なのです。そこが彼の歴史小説のほかとは違う点です。この「赤ひげ診療譚」では、貧しい人々の病を治す医者が主人公です。一見、偏屈だけど強い意志と人並み優れた技術と経験を持った医者の朴訥で真っ直ぐな生き方を見て、最初は反発していた若い医者も徐々に影響されていくという話です。黒沢明が映画化したのでご存知の方も多いでしょう。映画では主人公の赤ひげ役は三船敏郎でした。この作品を読めばわかりますが三船敏郎は原作の主人公を非常に巧みに演じています。山本周五郎の描く歴史小説は心にしみます。読後もさわやかで読む人を選びませんのでどなたにもお勧めです。赤ひげの人間性はいわば男として手本にすべきもののような気がしてこれを読んで以後、えしぇ蔵も一つの生き方の参考にしています。

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横光利一 「日輪」

川端康成とともに「新感覚派」の旗手として一時代を席捲した横光利一は、えしぇ蔵が個人的に崇拝する作家の一人です。戦後まもなく病死しますが、その葬儀の際、川端康成は弔辞において「君の名に傍えて僕の名の呼ばれる習わしも、かえりみればすでに二十五年を越えた」と読みましたが、これは要するに川端康成が、終始横光利一を超えることはできなかったと自ら認めているわけです。彼はそれほどの偉大なる作家でした。そのすごさの一端を知るには、この作品もまさにうってつけです。舞台は古代の日本、卑弥呼が登場する邪馬台国です。卑弥呼のあまりの美しさに魅了された男たちが、彼女を我が物とするために必要のない戦を始め、お互い血を流します。卑弥呼がいかにして日本を統一し、女性君主となることができたかを大変ドラマティックに描いています。映画や大河ドラマにするにはもってこいの面白さです。この作品では横光利一の作品の特徴がよく現れています。つまり、彼は文学において芸術を追い求めるかのように見えて、実は結構ストーリーも工夫しているということです。これこそまさに彼の、「純文学にして通俗小説、このこと以外に、文藝復興は絶對に有り得ない」という主張を裏付けるところです。いわゆる”純粋小説論”ですね。彼は小説のあり方を追求したという意味でも文学史において大きく貢献しています。ちなみにこの作品は彼がまだ文壇に登場して間もない25歳の頃に書かれています。読まれるとわかりますが、25歳にしてこの完成度は半端じゃありません。構成のしっかりした物語を美しい文章で流れるように描いています。今、20代でここまで書ける日本人はまずいないでしょう。「新感覚派」の旗手の若き頃の実力をご堪能下さい。

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正宗白鳥 「微光」

正宗白鳥をご存知でしたか?特に文学好きの人でなければおそらくあまりご存知ないでしょう。なぜなら新刊本を売っている本屋さんに行って、正宗白鳥の作品を見つけることは今やかなり難しいというのが現実ですから。古本屋で探してやっと見つかるという感じです。でもそれは極めて悲しいことなのです。なぜならこの人は日本の文学史を語る上で必ず名前が上がる人だからです。どのへんで上がるかというと、明治時代後半の自然主義全盛時代です。明治37年に「寂漠」で文壇デビューした正宗白鳥は「自然主義文学の新星」と言われました。早くから「自然主義文学」といえば正宗白鳥というイメージがあり、文壇の第一線で活躍していました。その地位を確かなものにしたのがこの「微光」です。つまりは日本の「自然主義文学」という看板を背負って、長いことその発展に寄与し、足跡を残しているわけです。そんなすごい人が現在あまり知られていないというのはえしぇ蔵から言わせると遺憾極まりないことであります。ここでもまた日本人は自らの誇るべき文化の一端を忘れてしまおうとしているわけです。この作品はまさに「自然主義文学」がどういうものであるかというお手本となる作品です。極めて高度に自然主義です。ではその「自然主義文学」とは一体なんでしょうか?簡単に言うとものごとを修飾なくありのままに描こうというものです。人間そのものも自然の一部とみなし、その実態を飾ることなく表現していこうとするわけですから、あまりに赤裸々な表現に当時は賛否両論で、その是非は大きなテーマでした。今では小説の書き方の一つとして特に騒がれるほどのものではありませんが、当時としてはセンセーショナルだったわけです。「自然主義文学」の正宗白鳥をこの作品を読んで是非知って頂きたいと思います。

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