蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

堀辰雄 「風立ちぬ」

人間にとって何が幸いで何がそうでないかは、死後にその人の人生の全体を見渡した時に初めてわかることかもしれません。大きな障害に直面した時は自分を不幸と思い苦しみ悶えるものですが、後になって考えるとそれは後に必要な何かのための布石だったりすることはよくあることです。全ては神の御手の中にということでしょうか。一時的な境遇が全てであると考えるのは間違いです。堀辰雄の場合は、肺を患ったことがそれにあたるかもしれません。彼は「聖家族」で文壇にデビューしてまもなく、結核を発病します。そして死に至るまでの長い病気との戦いが始まります。このことだけを見れば不幸そのものですが、それによって彼は後に名作を世に残すことになります。まさにこの作品もその不幸の賜物です。彼は奥さんも結核だったので2人して八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に入院しますが、悲しいかなここで奥さんが先に亡くなります。この時のつらい経験をもとに、この名作「風立ちぬ」は生まれます。美しい文章で語られる美しいストーリー。肺の病気なので高原などの澄んだきれいな空気が必要だったことが、このような澄んだきれいな文章を生むことに影響したのかもしれません。物語は、軽井沢で療養している病弱の少女と、親の反対を押し切って彼女と会う男性のはかない恋愛を描いています。考えてみればよくある「高原のサナトリウムにいる病弱の美少女」というパターンはこの作品が最初かもしれません。肺を病んでいても、こんな素晴らしい作品を生む人の心の内側はさぞかしきれいだったことでしょう。作家の不幸が生んだ名作は後の世の多くの人の心を豊かにしてくれました。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

遠藤周作 「沈黙」

遠藤周作は安岡章太郎や吉行淳之介らとともに「第三の新人」と呼ばれた人で、一時はノーベル文学賞候補にもなったほどの実力の持ち主です。重いテーマを描くこともあれば、ユーモアに徹する時もあり、幅広いタイプの小説を書ける人です。まさに才能を持て余しているという印象すら受けます。この人と切っても切れない縁なのがキリスト教です。12歳でカトリックの洗礼を受けて以来、彼とキリスト教の共生が始まります。そしてそれがやがて数々の作品の上で大きな位置を占めるものとなります。キリスト教を作品のテーマや背景に選ぶ作家は日本においても意外にたくさんいますが、その中でも遠藤周作の作品はその捉え方が他とは違います。えしぇ蔵がその作品世界に強く惹かれた理由もそこにあります。その違いとは、遠藤周作の場合は自分がクリスチャンであるにも関らず、キリスト教を一歩離れた位置から冷静に正確に観察しているということです。クリスチャンがキリスト教のことを作品にすると、それは宣教の手段となってしまい、作品の良し悪しよりもいかにキリスト教を知ってもらい、いかに信者を増やすかという点に重点がおかれる場合が多いです。そうなると自ずと文章は説教のような印象を与え、クリスチャンでない人を哀れむような独り善がり的世界を作りがちです。そんな心配もなく普通に作品として楽しめる範囲でキリスト教をうまく取り込んでいけるのが遠藤周作の実力の一端ではないかと思います。この作品は非常にドラマチックで、随所に感動を伴うセリフがあります。読後には心の底に沈殿した感動の余韻が数日はあなたを捕らえたままにします。神はなぜ黙しているのか?なぜ助けてくれないのか?その答えはクライマックスで明かされますが、その部分で感動の涙がわいてくるはずです。あなたも是非この感動を・・・。

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井伏鱒二 「山椒魚」

国語の教科書にも載るほどの有名な作品ですのでご存知の方も多いとは思いますが、それでもこの作品は語らずにはいられない奥の深さを持っていますので敢えてご紹介します。井伏鱒二の代表作であり、また処女作でもあります。大正12年に発表された時の題名は「幽閉」でした。昭和4年になって「山椒魚」と改題されています。太宰治は井伏鱒二の弟子ですが、彼はこの「山椒魚」を読んだ時に大きな衝撃を受け、井伏鱒二に弟子入りすることを決めたという話があります。物語としてはいかにも学校の教材に持ってこいの教訓を含んだ童話的小説です。主人公の山椒魚はある岩屋に住んでいました。それがだんだん身体が大きくなり、気付いた時には自分の岩屋から出られなくなっていました(山椒魚は頭が大きいですからね。そういう展開なので他の魚ではなく山椒魚でないといけないわけです)。自分の住処からもはや出ることができなくなり、彼は狼狽します。悩み苦しむ彼は鬱積したものの捌け口を探しますが、そこに一匹の蛙が迷い込んできます。彼はなんとその蛙を閉じ込めて自分と同じ境遇にしてしまいます。孤独と焦燥と圧迫に耐えかねて自暴自棄になった末の暴挙でした。それからの1年間、山椒魚と蛙は口論を続けます。さらにその後1年たった後の2人はどういう関係になっているのか・・・?というストーリーです。実はこの作品、結末の部分が2通りあります。一般的な文庫本と、井伏鱒二の自薦の全集に掲載されているものとでは違った終わり方をしています。井伏鱒二は全集に載せる際にどういう意図かは謎ですが結末の大事な部分を削除しています。これは各方面から非難が殺到しました。どっちがよりこの作品の結末としてふさわしいか、今となっては読む人が各々の価値観で決めればいいのではないでしょうか?大事なのは山椒魚が岩屋の中で外の世界を羨みながら悩み苦しむ姿に何を学ぶかということだと思います。えしぇ蔵はそこに人生の縮図を見たような気がしました・・・。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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