蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

幸田文 「着物」

着物に興味がある人は必須、ない人もこれを読むことで興味を持つきっかけになるかもしれません。あらゆる種類の日本の着物を物語の中で次々に登場させて、それがうまくストーリーと絡んでいて実に面白いです。着物の勉強にもなります。昔の日本人が季節にあわせて着物を着こなしていく姿がとても細かく描かれています。「幸田文の文章は隙がない」と聞いたことがありますが、表現の美しさ、文章のわかりやすさ、組み立てのうまさ、まるで文学小説を書こうという人のためのお手本のような作品です。幸田文は明治の大御所幸田露伴の娘です。幸田露伴という人は非常にしつけの厳しい人だったようで、そのおかげで幸田文は人間的にも徹底した、いわゆる”きちんとした日本人”に育ちます。そういう人が書く文章が大雑把であったりいい加減であったりするわけがありません。きれいで品のある、そして曖昧さのないきちんとした文章はまさに幸田文の人間性そのものと言えるのではないかと思います。昔の人にとって着物はどういう存在であったのか?どういう思いを持って接していたのか?どういうふうに着こなしていたのか?着物にまつわる思いを物語仕立てにしてあますところなく表現したこの作品は、着物というテーマを前面に出してはいますが、幸田文としては日本人としてわきまえておくべき常識、礼儀、たしなみ、思いやりなど、いわば良き日本人としての構成要素を知って欲しかったのではないでしょうか?”きちんとした日本人”である幸田文でこそ書ける小説だと思います。平成の現代ではもはや日本人は自分で着物を着ることすらできません。こういう作品を通して本来日本人がみんな持っていたものを探るというのは必要な試みかもしれません。

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島崎藤村 「破戒」

この作品の紹介文を書くために今えしぇ蔵は座りなおして背筋を伸ばしました。日本の文学の発展に大きく貢献した偉大なる名作ですから、島崎藤村に対する最大限の敬意を表す意味でそうしました。今回はそれぐらい思い入れが入っています。えしぇ蔵的にはこの偉大なる作品を3つのポイントを上げてご紹介しようと思います。1つめはこの作品が日本における自然主義文学の幕開けを告げた作品であるということ。自然主義文学はフランスで19世紀末にエミール・ゾラから始まった文学運動で、現実を観察し、いっさいの美化を排してありのままに描くというものです。日本の文学界においてこの手法で書かれた作品の先駆けが田山花袋の「蒲団」とこの「破戒」でした。日本の自然主義文学の旗頭として後世に与えた影響は計り知れません。2つめは被差別部落の問題を取り上げたこと。日本においては昔からタブー視されるこの問題に真正面から取り組み、堂々と社会に対して問題提起しました。その勇気は尊敬に値します。島崎藤村本人は家柄のいい裕福な家に育っていながらこの問題に取り組んだわけですから、問題提起によって注意・変革を促すという作家としての強い義務感が彼を動かしたものと思われます。ただ、この作品における被差別部落の問題の捉え方には賛否両論ありまして、発表後にかなりもめます。簡単に言うと主人公は被差別部落出身ということを告白し、恥じてどこかへ去って行くという結末に対し、「なぜ恥じる必要があるのか?」という意見が出て来たわけです。部落開放運動を展開していた「全国水平社」は、一時はこの作品が逆に差別を助長するのではないか?という見方になっていましたが、後にはやはり啓発の意味では必要な作品だという見方に変わったりと、その評価は時期によっていろいろ変わりました。この点は読んで頂いて個別に判断して頂きたいところです。3つめは小説のお手本にしばしば引用されるほどの美しい文章です。全体に彼の作品の文章は美しいですが、特にこの作品の「蓮花寺では下宿を兼ねた・・・」で始まる冒頭部分は名文中の名文です。以上3つのポイントを上げましたが、要するにこの名作はあらゆる角度から魅力を発しているということを言いたいのです。日本文学史に燦然と輝く記念碑的名作です。

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安部公房 「砂の女」

安部公房は三島由紀夫らと第二次戦後派と言われた作家です。この人の作品の最大の魅力はストーリーの面白さです。話の筋が面白い作品を書く作家は多いですが、彼の場合は一体彼の他に誰がこういうストーリーを考えだすだろうか?と思えるほどオリジナリティがずば抜けています。なにかとてつもなく奇抜な事件が起きる→それがどんどん発展し複雑化していく→これがどういう風に解決するのだろうかとやきもきさせて→誰の予想をも裏切る結末で終わる・・・大よそこういうパターンの作品が多いです。ストーリーの面白さに最大の重点が置いてある場合、その作品の支持層は国境を超えます。安部公房の作品は非常に外国でのウケがいいです。この「砂の女」も20ヶ国以上で翻訳されていますし、1968年にはなんとフランスで最優秀外国文学賞まで受賞しています。どの国の誰が読んでも面白いものを書くには卓越したストーリーテラーである必要があります。普通の人間にとっては発想とか想像というのは意外と似てくるもので、自分だけの思いつきかと思えば実は既に多くの人が思いついていたりするのはよくある話です。安部公房ほどの創作能力は常人の域を超えているのでストーリーにおいて誰かのものと似ているということはありません。一体どういう脳細胞だったのでしょうか?主人公は砂丘に新種の植物の採集に来ますが、そこでアリ地獄のような砂の穴の中にある家に泊めてもらいます。その家には寡婦が一人で住んでいました。翌朝、前日下りる時に使ったはしごが村人によって外されていたために主人公はその穴から出られなくなり、寡婦との奇妙な生活が始まります。さて、主人公はこの穴から脱出できるのでしょうか?結末が気になってしょうがないでしょ?それで読まずにいられなくなる。それが安部公房ですね。

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尾崎紅葉 「金色夜叉」

尾崎紅葉は幸田露伴とともに明治の文壇を支えた屋台骨的重鎮です。まだはっきりと新しい形が見つからずに模索を続けていた日本文学の夜明けにおいて、その格調高い美文で重要な位置に付きました。彼の文章は読み慣れない人にはちょっと抵抗があるかもしれませんが、一種のリズムを含んでいるので読み進んでいくと徐々に慣れて、むしろ通常の文体よりも早く読めるようになります。えしぇ蔵の場合はいつしかその美しさに魅了されてしまいました。こういう文語体の文章ってそれだけで既に芸術だと思います。読める人は減る一方ですが守っていきたいものの一つだと思います。さて、作品の内容ですがこのセリフはご存知でしょうか?「・・・一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」今まで何度も舞台や映画で演じられた作品ですからこの名セリフをご存知の人は多いでしょう。熱海の浜での貫一とお宮の涙の別れにおいて貫一が言ったセリフです。大好きなお宮さんにふられた貫一は投げやりになって非情な金貸しになるのですが、上流社会の貴婦人になったお宮さんとまた再会してしまって・・・・というドラマチックな展開が当時の人たちの心を捉えて、連載された新聞の到着をみんなが待ちこがれると言われたくらい、当時の社会に一大ブームを起こした名作です。実はこの作品は尾崎紅葉の死によって未完で終わっています。あの後何らかの形で二人に幸せがくるのでは?と読者に期待を抱かせたままになってしまったのは残念ですが、思えばそうやって結論を出してないところに新たなロマンが生まれていいのかもしれません。明治の大傑作を是非読んでみて下さい。そしてあなたなりの結末を作ってみて下さい。

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山本周五郎 「樅ノ木は残った」

山本周五郎の歴史ものというのは他とは一味も二味も違います。歴史的事実をベースにしてそれにエンターテイメントとしてのアレンジを加え面白く読ませるという点では同じですが、彼の場合はそこに”人情”のからみがあって作品全体に絶妙に色を添えます。登場人物の心の動きに共感し自然に涙を誘います。そこが大きな違いです。他の作家の場合だと「あー面白かった!」という満足感で終わりますが、彼の作品の読後には心の底にしみるような悲哀が残り、それが感動となってしばらく尾をひきます。「あぁいい作品読んだなぁ・・・」という感慨を持ちます。歴史小説を軽いものと考える人もいますが、こと山本周五郎に関してはそれはあてはまらないと思います。そこの部分をはっきりと実感できるのがこの「樅ノ木は残った」です。舞台となっているのは江戸時代前期の仙台の伊達家です。三大お家騒動の一つ「伊達騒動」を山本周五郎の独自の解釈によって一大エンターテイメントに仕上げています。4代藩主伊達綱村の時代に重臣たちの間で内紛が起こります。お家騒動というのは藩の維持がうまく出来ていないということで江戸幕府から取り潰しにあう絶好の材料です。藩内に起こったこの内紛が実は江戸幕府が伊達藩取り潰しのために仕掛けた巧妙な罠だと気付いた主人公の原田甲斐は伊達藩を救うために自ら悪役に徹して捨て身で一つの作戦を実行します。命も名も捨てて藩のために彼がしたこととは・・・?江戸幕府に敢然と立ち向かう原田甲斐のかっこよさ!そして最後のクライマックスの衝撃的な幕切れ!感動せずにはいられません。歴史の知識の有無は関係なく楽しめます。この作品で山本周五郎のすごさを知って下さい。

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二葉亭四迷 「浮雲」

明治初期の文学というのはまだまだ江戸時代の戯作文学そのままで、時代は変わっても旧態依然としたものでした。そこで文学にも革命を起こそうという動きが出て来て坪内逍遥の登場ということになります。彼の主張は心理的写実主義で、目指すところはいわゆる今の一般的な小説の形に近いものだったようです。そこで発表されたのが「小説神髄」であり、「当世書生気質」でした。ところがそれらの作品は主張とは違って未だに戯作文学の流れをくんだものでした。言ってることとできたものが違うじゃないかということで、それじゃ私が書いてみようと登場したのが二葉亭四迷です。彼はこの「浮雲」を書いて、これが新しい小説の形じゃないの?と反論するわけです。そういう経緯があったので、日本の近代文学の始まりをどこに定義するかという時には必ず、「小説神髄」にすべきだ、「浮雲」にすべきだ、というふうに意見が分かれます。今まで星の数ほど日本文学の傑作は生まれてきましたが、そのルーツを辿って行った場合、最終的には「小説神髄」あるいは「浮雲」に到達するということになるわけで、この作品が日本文学史においていかに重要な存在意義があるかがわかると思います。誰もやらないことをやって新しい道を切り拓いて後進を導き、後の大きな発展の端緒となるいうことはどんな分野においても偉大なる所業です。作品を読んで頂くとわかりますが、いわゆる普通の小説の書き方になっています。これがその最初のものだと思うと読みながらも感銘を覚えてしまいます。作品としても優れたものですがそれでも二葉亭四迷はその出来に満足できなかったので、なんとその後20年ほど小説を書くことをやめてしまいます。彼が求めていたのはもっと高度なものだったんでしょうね。でも充分すぎるほどの傑作です。日本の近代文学の夜明けを告げた名作ですから是非是非!ご一読を。

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菊池寛 「藤十郎の恋」

この作品の主人公は元禄の頃に実在した歌舞伎役者の坂田藤十郎です。この人は歌舞伎の歴史においては欠かすことの出来ない存在です。「上方歌舞伎の始祖」とまで言われています。いわゆる恋愛をテーマとした”傾城買い狂言”というものを確立させた人です。男が女を口説く場面を非常理リアルに演じて評判になり、当時の花形スターとなります。この作品は坂田藤十郎が、いかにしてそういう男女の甘い場面をうまく演じれるかと悩んだ末に一つのアイディアが浮かび、それを実行して見事に演技の真髄をつかみますが、その後に悲劇を生んでしまうという話です。菊池寛もいい素材を見つけたなと思いました。藤十郎が実行したアイディアとはなんでしょうか?そもそも彼を悩ませた演技というのは普通の恋愛ものではなく、人妻との許されぬ恋愛でした。”密夫(みそかお)の狂言”と表現されています。要するに間男ですね。経験がない彼には大きな難題でした。そんな彼の前に一人の美しい人妻が登場します。その美貌を見た彼の耳元で悪魔がささやいてしまいます。わからないなら体験すればいい!そして彼はその人妻を熱心に口説いて、ついにその気にさせてしまいますが、人妻の心中に火がついたその刹那に彼は去って行きます。間男の心境を知った彼にはその先は必要ないわけです。憐れなのはもてあそばれた人妻です。これ以上ないほどの辱めを受けたと感じた彼女はある決断をします・・・なんとも非情な話です。この話から”藤十郎の恋”という表現は、芸を磨くための偽りの恋を意味するようになりました。芸人は芸を磨くためにはどんなことでもし、どんな犠牲もはらうというわけです。凄まじいまでの役者根性です。一人の女性の犠牲によって新しい歌舞伎の世界を切り開いた男のサクセスストーリーは深い悲しみも伴っています。

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