蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

永井荷風 「墨東綺譚」

「墨東綺譚」。文学好きの人間にとってはなんとも重い響きです。そして自然と偉大なるものへの敬意をもってこの四つの文字を眺めている自分に気付きます。あらゆる面において素晴らしい日本の文学の傑作中の傑作です。この作品は彼得意の花柳界の話ですが、なぜか彼が書くとそれが非常に風流なものになるから不思議です。文章が美しいからか、一行一行が非常に楽しめます。えしぇ蔵は同じ箇所を何度も読み返して楽しんだりします。行きずりの恋の不安定さ、男と女の揺れる心情、その背後にある季節や町の様子、それらが彼の筆致によって表現されるともうそれは至高の芸術です。舞台は向島なんですが、そこに描かれているのは現代的な東京ではなく、風情を残した江戸の町です。かつての日本の姿を探して、それを情緒豊かに表現し、読む人の中に風流な日本の町を再現してくれます。どの作品でも細かい情景描写にそういう部分があって、物語以外の部分でも楽しませてくれるのが彼の作品の一つの特徴です。ストーリーは極めてシンプルです。主人公の大江は取材のために私娼窟を訪ね、そこでお雪という女性と出会います。そこから大江とお雪のつかの間の恋が始まって、なんとも曖昧で不思議な関係がしばらく続きます。えしぇ蔵が特に好きなのは、この二人の会話です。小説は会話がわざとらしかったり、ありきたりだったり、稚拙だったりすると物語全体の質を一気に落としますが、この作品の会話部分の完璧さは圧倒的ですらあります。粋な言葉のやりとりが極めて自然に交わされます。書かれていない言葉の奥の心情まで伝わってきます。物書きにとっては教科書のような名作です。是非是非ご一読を。いいえ、三読、四読を。

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中里恒子 「中納言秀家夫人の生涯」

中納言秀家とは誰のことかご存知でしょうか?歴史が好きな方なら五大老の一人と言えばすぐにわかりますね。備前宰相 宇喜多秀家のことです。この人の人生は非常にドラマチックでした。栄耀栄華の頂点にまで登りつめた後は、全てを奪われ失意のどん底にまで落とされます。人の一生においてこれほど浮き沈みの差が激しかった人も稀だと思います。もともとは備前岡山の一大名でしたが、織田信長の傘下に入ることにより運が開けます。信長の死後は豊臣秀吉の配下となり、当時まだ若かった彼は秀吉から秀の字を貰って猶子になるほど気に入られます。秀吉の天下統一の過程における主な合戦には全て参加し手柄をたて、朝鮮出兵の際には大将にまで任命されます。やがては徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元と並ぶ五大老の一人に列せられ、まさに栄華のきわみを味わいます。ところが秀吉の死後に運命は暗転します。関ヶ原の合戦の際に故秀吉への忠義を重んじた彼は西軍に組します。西軍敗退後はしばらく逃亡しますが最終的には八丈島へと流されます。この話は全てを失ってどん底に落ちた状態から始まります。前半の輝かしい人生が全て省いてあるところに、むしろかつての栄華の名残が寂しく感じられます。それまで金も名誉も権力も、全てに恵まれていた人が食糧の調達にも苦労するような土地の荒れた八丈島に流されるわけです。生活における細かい苦労話を中里恒子が非常にリアルに描写しています。このへんはやはり女流作家の腕のみせどころでしょうか。秀家夫人というのはあの前田家の豪姫です。何も不自由のない生活をする豪姫と、窮乏を味わう秀家を対照的に描きつつ、二度と会えない夫婦のお互いへの叶わぬ想いを切々と描写して実に胸にせまるものがあります。女流作家が書く歴史小説は情感豊かなのがいいですね。読んだ後に深く心に残るものがあります。

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石坂洋次郎 「青い山脈」

原作はもちろん、映画も有名、歌も有名。戦後間もない頃の日本人の心をとらえた「青い山脈」は、石坂洋次郎の代表作です。いわゆる爽やかな青春もの、健全な物語を書かせたらこの人はまさに筆頭でしょう。1966年に第14回菊池寛賞を受賞した際の評価は、「健全な常識に立ち明快な作品を書きつづけた功績」ということですからその作品の傾向は自ずとわかって頂けるのではないかと思います。もともと同郷の葛西善蔵にあこがれて弟子入りしようとしますが、そのあまりの酒乱ぶりに幻滅を覚えます。葛西善蔵の小説は作家自ら堕落することにより、一番底辺に到達した人間の心理を描こうというものでした。師と仰ごうとした人に失望した彼はその対極をいく作品、つまり健全な文学というものを自らのテーマとします。そして「海を見に行く」をきっかけに成功への階段を登って行きます。戦後にこの「青い山脈」を朝日新聞に連載して好評を得、映画化も成功し、「百万人の作家」とまで呼ばれて”石坂洋次郎の時代”を築きます。この作品を読み進んでいくと、「あぁかつて日本人はこんなに爽やかな青春時代を過ごしていたのか」とちょっとうらやましくなります。まぶしいほどに純粋な世界です。日本がまだ貧しい時代を背景にしていますが、登場する人々の心は豊かで元気いっぱいです。実に微笑ましい場面の連続です。読み終えた後にはおいしくて身体によいものを食べた時のような後口の良さがあります。人の心が複雑化したり歪んだりしている現代においては特に読まれるべき作品ではないかなと思います。

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三島由紀夫 「憂国」

三島由紀夫の命日のことを「憂国忌」と呼ぶことは皆さんご存知かと思います。あれはこの作品からとられています。三島由紀夫という偉大な人物の命日を表現するにこれ以上の言葉はあるでしょうか?実に絶妙なものがあると思います。彼の内側にあった熱い血は、かつて私たちの先祖の一人一人に流れていたものであり、私たち現代を生きる日本人のほとんどが忘れてしまったものです。その激しいエネルギーはいろんな彼の作品の中にみることができますが、一番ストレートに表現しているのがこの作品ではないでしょうか。非常にショッキングな内容です。簡単に言うと切腹の実況中継なんですが極めて詳細に描かれています。その情景を想像するとちょっとひいてしまう人もいるかも知れませんが、この作品の中の強烈なエネルギーを是非感じとって頂きたいのです。彼はこの作品で何を言いたかったのでしょうか?一軍人の強烈なまでの愛国心でしょうか?男としての潔さでしょうか?戦争が生み出した特殊な心理状況でしょうか?本当の答えは三島由紀夫とともに彼岸へと渡ってしまいましたので誰しも推測の範囲を出ないと思いますが、えしぇ蔵としてはその答えは「死の美学」ではないかと推測しています。人間がなんらかの理由により死を選ばなければならなくなり、それを従容として受け入れて潔く死に赴く姿、そこに彼は美を感じ表現しようとしたのではないでしょうか?かつて武士が自らの死でものごとに決着をつけた姿に彼は羨望があったのではないでしょうか?彼の市ヶ谷での最後のこともありますし、個人的にはどうもそのへんに答えがあるような気がします。

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横光利一 「夜の靴」

大学で日本文学史を勉強した人とお互いの尊敬する作家について語り合ったことがありましたが、その際にえしぇ蔵が横光利一の名前をあげると驚くことにその人は知りませんでした。大学で勉強したのに知らないということがあるでしょうか?実はこれは有り得る話なのです。新刊本を売っている街の本屋さんに行って横光利一の本を探してみて下さい。おそらく簡単には見つけることができないでしょう。今の時代、その存在すら知らない人が多いのは事実です。その理由は戦争中における彼の国粋主義的な活動にあります。要するに軍部に味方するような言動や行動が多かったので、それを戦後に糾弾されたわけです。驚くことに出版社から出版拒否なんていうこともされたようです。このへんは日本人のご都合主義の犠牲になったような観がないわけではないのですが、そういった理由によって一時は文学史から抹殺されてしまいます。あのノーベル文学賞の川端康成ですら一目を置いていたほどの作家の存在を否定した時代があったのです。そういった経緯があって今では作品があまり手に入りにくい作家という位置づけになってしまいました。この現実にはえしぇ蔵は大いに疑問を持ちます。戦時中に軍部よりのものを書いて戦後も一線で活躍した人は大勢いますがなぜ彼だけここまで?と思わずにはいられません。それに作品の質は作家の思想や姿勢によらず評価されるべきであり、ことに優れた彼の場合は日本文学史の誇りとすべきだと思うわけです。徐々に再評価という動きはあるようですが、えしぇ蔵的には日本人なら知らない人はいないというほどの存在に返り咲いて欲しいと思っています。この作品は晩年の彼の日記ですが、その文章の美しさは圧倒的です。その実力の片鱗をうかがうには十分の作品です。おそらく古本屋でないと手に入らないと思いますが探してみて下さい。こんなすごい作家もいたんだということを是非知って下さい。

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井上靖 「蒼き狼」

世界の歴史には地図を大きく塗り替える英雄(あるいは侵略者)が登場します。アレキサンダー大王しかり、ナポレオンしかり。その中で最も広い範囲を我が物としたのはチンギスカン(成吉思汗)です。彼が築いた帝国は子孫の代も膨張を続け、一時はヨーロッパの一部にまで到達します。まさにユーラシア大陸の大部分を占領した形になります。ここまでの偉業を成し遂げた要因はなんでしょう?騎馬民族なので馬の扱いに巧みであったこと、効率的な軍隊編成、独特の弓を使用していたことなどの戦術的なことや、占領した国の文化を尊重した政策などもあるでしょうが、一番の要因はやはりチンギスカン(成吉思汗)の人間そのものにあったのではないでしょうか?昔の話なのでその人間性を深く知ることは困難ですが、そこに井上靖はロマンを感じ、このスケールの大きな物語を書く意欲を持ったのではないでしょうか?大小の部族が互いに派を競っているだけだったモンゴルの民族を一つにまとめあげ、周辺の国を占領し、巨大な帝国を築き上げたのは一体どういう人なのか?誰しも思うところだと思います。作品は文章が独特な表現方法を使用しており、それが古の物語をうまく演出しています。ストーリーもテンポよく進行し読みやすいです。まさに頭の中で超大作の映画が上映されているような印象を受けます。いつしか自分も馬上の人となって、広大な大陸を風を受けながら駆け巡っているような気分になれます。井上靖ならではのスケールのでかい、そして構成の完璧な歴史小説です。たっぷりお楽しみ頂けると思います。

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田山花袋 「蒲団」

日本の文学史を紐解くと、「自然主義文学」という大きな流れがかなり幅をきかせていることに気付くと思います。そもそもこの「自然主義文学」とはなんでしょうか?これが登場するまでの文学というのは事実を題材にすることはあっても基本的には空想の産物で、そうなるとおもしろくするために大なり小なりあらゆるものを美化あるいは誇張して表現してありました。それに対してこのフランス生まれの「自然主義文学」とは、美化せずにありのままを書こうという考え方のもとに生み出されたものです。そしてそれは「私小説」という形で作品化されていきました。その「自然主義文学」のいわば出発点として位置づけられているのがこの田山花袋の「蒲団」です。この作品は田山花袋が実際に弟子の岡田美知代とのいきさつを小説化したもので、まさにあけっぴろげに自分の恥をさらしてありのままを書いています。その時代には前代未聞の試みで、文壇やジャーナリズムは大騒ぎになりました。登場人物名こそ変えていますが、それぞれ誰をモデルにしているかはすぐにわかるわけで、関係者にも当然嫌な思いをさせたことでしょうし、家族や親戚にも迷惑をかけたことでしょう。多くの非難も受けたようですし、当時の一般の読者にはあまり受け入れられなかったようです。それが今では日本文学史の上では欠かすことのできない記念碑的作品として重要な位置を占めています。どんなことでも最初にトライするというのは勇気がいることで、そして評価されるまでは時間がかかるものです。何か新しいものというのは前途に横たわる障害の先にあるものなんですね。偉大なる挑戦の産物を是非読んでみて下さい。

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宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」

皆さんご存知の名作ですね。宮沢賢治の残した童話というのは年齢に関係なく楽しむことができます。それに童話といえど文学的価値が非常に高いので、専門家の間で繰り返し研究される材料となっています。もともと未定稿だった作品ですから謎が多く、宮沢賢治独自の造語や表現などもあるのでそういった人たちの興味をそそるというのもわかります。詳しく分析していくときりがないですが、実は今現在、本屋さんで売っている「銀河鉄道の夜」は第4次稿になります。実はそれまでに3パターンのストーリーが存在したということになります。特に第3次稿などは全く違う結末となっています。何度も考えなおされ書き直されて、苦心の末に完成されたということがわかります。そして一見して夢の広がる童話という印象を受けますが、実は随所に様々な暗示が埋め込まれています。特に注意して頂きたいのが、銀河鉄道に乗る前と後の情景描写の違いです。乗る前は全体的に暗いイメージがあり、”死”を暗示しています。銀河鉄道の夢から覚めた後は一転して明るくなり、”喜び”や”生”や”新しさ”などを暗示しています。他にも哲学的な暗示はたくさんあるそうですがえしぇ蔵研究不足で詳しくはわかりません。研究本もたくさん出ているので参考にされるといいと思います。いろんな魅力を含んだ作品なので何度も何度も読んでしまいます。そして読むたびに発見があります。物語の中の世界はまるで子どもの目で見たように無邪気な雰囲気に満たされていて、それは誰でも昔の日々を恋い慕う人には懐かしいものに感じられます。銀河鉄道での旅のシーンのなんと美しく、夢あふれていることでしょう!宮沢賢治の心の清らかさのなせる業でしょうね。日本の童話の最高傑作と言ってもいいかもしれません。

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