蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

丹羽文雄 「青麦」

えしぇ蔵は自分でも小説を書きますが、自分の文章は誰の影響を受けているのかなと考えたことがあります。意識しているわけではないのですが、どうも丹羽文雄の文章に似ているような気がします。この青麦を読んでいる時もそう感じました。無意識のうちに影響を受けているのでしょうね。この明快で読みやすい文章は、確かに自分の目指すところです。難しい語句を使わず、短い文章で淡々と表現して、読む人を混乱させない書き方は大いに学ぶべきものがあります。この作品は丹羽文雄が自分の家をモデルにしたというふうに言われています。丹羽文雄の実家はお寺でした。お寺の跡継ぎになるのがいやで飛び出して作家になるわけですが、この作品の主人公も住職である父親の人間性に反感を持ち、寺を出奔します。丹羽文雄の父親は婿養子に入ったんですが、なんと自分の妻の母親と関係を持ってしまい、妻は幼い丹羽文雄を置いて家を出て行ってしまいます。そういう修羅場を見たことが人間の業を描くこの作品につながっているのではないかと思います。ですからテーマとしてはかなり深いところをついてます。作品では住職が次々に女性を手篭めにしますが、人間は出家も在家も結局はいろんな悩み、苦しみ、欲望に翻弄されて、死ぬ瞬間まで何も悟ることはできないわけで、それこそが悲しい人間という存在であると教えてくれる作品です。文章だけでなく、こういう深いテーマに取り組む意気込みも参考にしたいところです。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

丹羽文雄 「日々の背信」

えしぇ蔵がこの「蔵書」を続けている理由は、一人でも多くの人にかつての日本文学の素晴しさを知って頂いて、それらを評価しなおし、自分たちの時代でその存在をなくすことなく次の世代へと残すことができればと思ってのことです。従って自分なりに次世代の糧となるであろう作家を紹介してきました。実際、昭和中期くらいまでは日本文学の全体のレベルが高いので一度は名を馳せた作家のほとんどがその対象となります。ですからいろんなタイプの作家を読んで紹介してきました。文学として評価すべきなら、自分に合う合わないは考慮の外でした。ではこの「蔵書」の目的を除くとすればどうなるでしょう?そこにはやはり個人的な好みというものがあります。正直、本音をぶちまけるとすれば、丹羽文雄は横光利一と並んで個人的に大好きです。私小説的なものも風俗小説的なものもどこか読んでいてしっくりきます。明解な文章で読みやすいというのもあるかと思います。この作品もじっくり楽しみながら読みました。ドラマ性が豊かなのできっとテレビや映画になっているだろうと思って調べてみたらやはりそうでした。雰囲気的にちょっと松本清張の愛憎劇に似た感じがします。主人公は裕福な事業家の愛人です。いわゆる妾状態。肩身の狭い思いをしながら生きています。そこに素敵な紳士が登場しますが彼には病気で寝たきりの妻がいます。お互い好きなのに一緒になれない。もどかしい状況が続くうちに事業家にそのことがばれて、嫌がらせが始まって余計にことは複雑になっていきます。二人は結ばれるのでしょうか?それともそのままなのでしょうか?あるいは全く別の展開があるのでしょうか?この作品ほど最後の最後までヤキモキさせられたことはありません。さて最後に二人はどうなるのでしょうか?読みやすくて面白くて文学的。個人的にもお勧めです。

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丹羽文雄 「海戦」

丹羽文雄は太平洋戦争中の昭和17年8月に第8艦隊の旗艦「鳥海」に海軍報道班員として乗り込みます。戦線の記録を残すためによくカメラマンが同行しますが、彼は小説家として同行(当時は佐藤春夫、火野葦平、久米正雄、山岡荘八、海音寺潮五郎など、多くの作家が報道班員として従軍しています。)し、自分の体験を記録して作品化します。それが中央公論に発表されて大絶賛されます。決戦におもむく一人ひとりの心理描写も、砲撃しあう時の臨場感も、おそらく当時の人を夢中にしたでしょう。ここで描かれているのは第1次ソロモン海戦で、結果は日本側の一方的勝利に終わります。(日本海軍はアメリカとオーストラリアの連絡路を断つために、ソロモン諸島の中に基地を作る必要がありました。そこで選ばれた島が、多くの戦病死者を出したあの悲劇の舞台、ガダルカナル島です。連合軍との間でその争奪戦が始まった当初、海上において初めて大規模な戦闘となったのがこの第1次ソロモン海戦です。この時は大勝でしたが、最終的にはガダルカナル島は奪われ、日本軍は撤退します。ここから連合軍の北上と日本軍の連敗が始まります。)当時の日本人にとっては非常に痛快な作品になりましたが、でもよく読むと底辺に「戦争の悲しさ」が密かに表現されているのを感じることができます。単なる記録文学ではなく、当時の人たちが心の奥底にひた隠しに隠していた平和へのあこがれを、彼が巧みに掘り起こそうとしたのではないかと勝手に推測しています。彼がいた場所のすぐ近くが被弾し、彼は怪我をしますが助かります。しかし一緒にいた人数名が一瞬にして死ぬのを目撃します。彼は死というものを目の当たりにし、何か非常に強いものを感じますが、当時の時勢ではストレートに表現しにくかったのでしょう。自分の思いを隠しながら書いているような感じを受けます。彼はこの記録で本当は何を言いたかったのか?是非読んであなたなりに探ってみて下さい。

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丹羽文雄 「蛇と鳩」

丹羽文雄の作品の中にはしばしば宗教がからんできます。これはいわば彼にとっては宿命と言ってもいいかもしれません。もともと三重県にある浄土真宗専修寺高田派の崇顕寺の跡取りとして生まれた彼は、人生のスタートから宗教を背負っていました。仏の道へ入ること、家を継ぐことを拒否し、文学の世界に入って大成功するわけですが、最期まで作品の中に宗教の反映があったというのは彼にとってなにか大きなものを意味するような気がします。この作品は戦後の国土も人心も荒廃した日本において、雨後の筍のように次々に出現した新興宗教をテーマにしています。乱れた人心が心の安寧を求める時代には決まって新興宗教が活発になりますが、太平洋戦争が終わった後の昭和20年代がまさにそれでした。その中には人心を救うというよりも、新たなビジネスと考えて立ち上げたものもあると思います。この作品の主人公の義兄が狙ったのがそれでした。新しい新興宗教を作って大儲けしてやろうという壮大で邪悪な計画を立てた義兄は、主人公を手下として使って手伝わせます。まずは既存のあらゆる宗教を調べて、教祖になるのにふさわしい男を捜させます。その過程が非常に興味深いものがあります。実際に丹羽文雄があらゆる宗教について細かく調べたことがよくわかります。やがて主人公は一人の男を見つけ出します。義兄はその男に教祖の地位を与え、必要な環境を整え、宣伝に莫大な費用を投じ、サクラを使った巧妙な勧誘作戦も展開して一大新興宗教を築きあげます。主人公はその邪悪な計画が身を結ぶ一歩手前において、その所業の非道さに気付き反攻する決意をします。さぁこの偽の宗教団体はどうなるのでしょうか・・・?宗教という重荷を背負って生きた丹羽文雄がその運命と真っ向から取り組んだ傑作です。

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