蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

志賀直哉 「清兵衛と瓢箪」

子どもがどういうことに才能を持っているのか、親の立場から見抜くことは非常に難しいことだと思います。子どもが親の希望でさせたことにあまり興味を持たず真剣に取り組まないので親は子どもを叱って無理矢理やらせようとすることはよくあることです。実際は子どもは全然別のことに秘めた才能を持っており、それが興味を抱くという形で表に出ていることに親は気付いてあげないといけません。そしてそれが親にとっては好ましくないと思えるものであっても応援してあげなければいけません。ところが現実にはそれができる親というのはなかなかいないようです。親がやらせたいことと子どもがやりたいことが一致した親子というのは本当に幸せなパターンではないでしょうか。実際に何かにおいて才能を開花させて成功した人というのは親が暖かく応援してあげたというケースが多いようです。この作品においては親の独断で子どもの才能を無駄にしてしまうケースが描かれています。小学生の清兵衛は瓢箪が大好きでした。しかし清兵衛がせっせと集めている瓢箪は父親から見れば値打ちのないものに見えました。そしてこういう瓢箪がいいのだと清兵衛に馬琴の瓢箪のことを教えますが清兵衛はそれに納得できませんでした。ある日清兵衛は買ってきた瓢箪を学校にまで持ち込んでせっせと磨いていました。それを先生に見つかって取り上げられ、説教されます。父親は激怒し、清兵衛の持っていた瓢箪をみんな割ってしまいます。この時先生に取り上げられた瓢箪は後で売られますが、実はその瓢箪は……というお話です。多分にメッセージ性もありますが、小説の神様と呼ばれる志賀直哉の作品ですから非情に面白く読めて、読後にもしっかり何かが残る感があります。こういう子どもの人並み優れた秘めた才能に周囲が気付かないというパターンのストーリーは他の作家も書いています。おそらくこの作品が一つの模範となっているのではないでしょうか。


テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

志賀直哉 「灰色の月」

この作品を紹介せずにどうしましょう。短編の名手、小説の神様、志賀直哉の本領発揮というところでしょうか。心にしみてくる名作です。戦後の荒廃した東京が舞台です。志賀直哉ならではの明快な文章で、情景がはっきりと頭に浮かんできます。えしぇ蔵の頭の中には東京なのに遠くまで見通せるほど空襲でほとんどの建物が焼け落ちた中を人々が着の身着のままただその日の糧を求めて放浪している状況が浮かんできました。そこに登場する主人公は電車に乗ります。これはつまり志賀直哉自身ですね。電車の中にも生きることに疲れきった人々が乗っているわけですが、その中にぼろぼろの服を着て明らかに餓死寸前の少年が乗っていました。ストーリーは車内でのその少年の様子をただ描いているだけで、あっという間に読み終わる短い作品なんですが、読み終わった時になんとも表現しようのない悲しみが心の底にずしりと残ります。主人公には、昨日死ななかったから今日生きているに過ぎない汚いぼろ雑巾のような少年を嫌悪する気持ちがありましたが、やがて少年の様子を観察していくうちに徐々に哀れみを覚えていく様子がうかがえます。自分のそんな心境変化を志賀直哉は正直に描いています。この作品の重み、存在意義、メッセージなどは少年が残す衝撃的なセリフである「どうでも、かまわねえや」の中に全て凝縮されています。戦後の荒廃の中で自暴自棄になりがちな絶望の中にいる日本人全体の心を象徴しています。家族も死んだ、家も焼けた、仕事もない、考えることは今の空腹をどうするかということ、この国はかつてそんな状況にまで落ちていたということをこのセリフは教えてくれます。そして作品は余韻を残して終わります。この少年はこの後どうなったんだろうか?強く生き抜くことはできたろうか?読後に思い返すとまた涙を誘われます。こんな短い作品でここまで人の心を動かせるのかとあらためて志賀直哉の偉大さを思い知らされた作品です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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