蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

宇野浩二 「思ひ川」

一体純文学と大衆文学とどこがどう違うかと問われたとして、ではその例をあげましょうということになると、純文学ではこの作品などはまさにその王道をいってます。しみじみと語られる恋物語、ゆっくりと流れる時間、風流な生活の様子、移り変わる自然……急いで読まないで時間をかけてじっくりじっくり噛締めるように読んでいきたい作品です。作家である牧新市と三重次という芸者とのひたむきだが結ばれることのない恋を描いています。せつない物語です。このせつなさがたまりません。じつはこの作品の中で展開される恋物語は、宇野浩二と村上八重という芸者の実際の恋を題材にしています。主人公の牧新市は宇野浩二本人、三重次は村上八重というわけです。内容もほぼ実際に起こったことばかりで、ただ登場人物や場所の名前を書き変えているだけと思っていいです。作家仲間の仲木直吉というのは直木三十五のこと、有川というのは芥川龍之介のこと、主人公の妻キヌは、自分の妻良子のことです。仕事場として使う高台ホテルというのは実際に自分が使っていた菊富士ホテルのことです。このように、名前を実在のものに置き換えて読んでいけばつまりは宇野浩二の体験談そのままというわけです。どうも最初は村上八重の方が熱を上げて宇野浩二に猛アタックをかけてきたようですが、長く付き合ううちに立場が逆転して、宇野浩二の方が情熱の虜になっていったようです。早い話が不倫なんですが、文学になるとせつなく美しいものになるから不思議ですね。

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宇野浩二 「蔵の中」

これは宇野浩二の出世作です。この作品を機に文壇での地位を徐々に固めていくわけですがこれを書いた当時は貧乏のどん底だったそうです。そんな中で必死で書いたこの作品はその境遇とは裏腹に非常にユーモラスで、恐らく読まれる人は我知らず笑みが浮かぶことだと思います。この作品は、主人公の語り手が話下手ながらも一生懸命に聞き手に対して身の上話をしているという形をとっています。その軽妙な語り口にこの頃の宇野浩二の力量の一端を見るような気がします。語り手は着道楽で集めた様々な着物を、食うに困って片っ端から質屋に入れているわけですが、それがどうも心配になって質屋に頼んで虫干しさせてもらうという内容です。無理を言って主人の留守中に質屋の二階で自分の着物を干して、そしてこれまた自分が質入したふとんを敷いて、そこに寝ながら干してある着物を眺めていると、それらの着物の一つ一つにまつわる思い出が甦ってくる……という感じでとりとめもなく身の上話が進んでいきます。時々、聞き手が混乱してないか、飽きているんじゃないかと心配して、「皆さんの頭でほどよく調節して、聞きわけしてください。たのみます。」「どうぞ、自由に、取捨して、按配して、お聞きください。」「どうぞ、大目にみて聞いてください、たのみます。」「辛抱して聞いてくださいますか。」と途中で懇願しながら話を進めていきますがその様子が読み手に笑いを誘わずにはいません。こういう饒舌体はえしぇ蔵は個人的に大好きです。このストーリーは親しくしていた広津和郎に聞いた近松秋江の逸話をもとにしているそうです。近松秋江は質に入れた自分の着物を質屋の中で干して、質に入れた布団に寝てそれを眺めたということがあったそうです。ただその話をベースにはしていますが、それぞれの着物にまつわる女性の話は宇野浩二の経験談を元にしているそうです。宇野浩二は近松秋江の作品を高く評価しており、少なからず影響も受けているようです。ですからこの作品は近松秋江へのオマージュでもあるかもしれません。皆さんも是非ご一読下さい。読みながらきっと笑ってると思いますよ。

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宇野浩二 「子を貸し屋」

宇野浩二は通称「文学の鬼」と言われました。言われたというのはちょっと的外れな表現かもしれません。というのは宇野浩二自身が自分は文学の鬼だ、小説の鬼だと言っていたので、やがて周囲がその表現を使うようになったというのが正しいようです。それも自分が鬼そのものだと言っているのではなく、鬼にとりつかれた男だと表現しています。これはどういう意味でしょうか?普通は仕事のこととプライベートのことは時間的にも区切りを設けて一線を引いている人がほとんどでしょうが、作家というのは日常の生活そのものが仕事につながっているので死ぬまで文学というものから逃れられないということを意味しています。特に宇野浩二は自分のまわりで起こる出来事を題材にしたり、周囲の人をモデルにしたりしていましたので尚更そうだったといえます。頭の中はいつも文学のことで一杯で、誰と話しても文学の話ばかりしていたそうです。なにも彼が特別そうだったのではなく、当時活躍していた作家はみんな似たようなものだったようです。思えば鬼がたくさんいた時代はいい作品が多いです。宇野浩二は福岡で生まれました。今の中央区荒戸1丁目です。でもすぐに大阪に行くのであまり福岡出身という感じがありません。大阪の家が花街に近かったせいかどうか知りませんが芸妓との交流が深く、そういう体験が作品の中に生きています。基本的に私小説が多いですが、この作品は全くのフィクションです。かわいい男の子と二人で暮らす佐蔵のところに芸者さんがやって来ます。そして、自分は子どもが好きだから一緒に連れて歩きたいのでちょっと子どもを貸してくれと佐蔵に頼みます。断る理由もないので貸してあげるわけですが、その後も何回も借りに来ます。そして他の芸者さんまで借りにくるようになったので、佐蔵はそれを商売にして繁盛します。でもみんなが借りに来る本当の理由を知った時・・・さぁ、佐蔵はどうするでしょう?面白い話を考え出すもんです。鬼の実力とはどれほどのものか、是非味わってみて下さい。

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