室生犀星 「蜜のあわれ」
詩人として有名な室生犀星ですが、小説のほうも侮りがたしです。この作品は批評家の中には彼の最高傑作と言う人もいるほどの優れた作品です。非常に不思議な作品なので、ぼーっと読んでいると一体何がどうなっているのかわからなくなる恐れがありますので簡単に解説しておきます。主人公はある年老いた作家でありまして、まぁこれは室生犀星自身と考えていいでしょう。その主人公が、自分の飼っている金魚と会話するわけです。金魚は生意気な小娘風な話し方で彼の相手をします。その二人のやりとりをいくつかの出来事をまじえながら綴ったもので、全編会話で成り立っています。途中でわからなくなると言ったのは、この金魚が時々人間に化けて外に出かけたりすることがあるからです。あれ?今は金魚の状態かな?人間の状態かな?と注意しながら読まないといけません。そうして読み進んでいくうちに彼が何を書きたいかが徐々に伝わってきます。女性という存在に対する愛情を彼なりの方法で表現しているわけです。加賀藩の足軽と女中との間に私生児として生まれた彼は、すぐに雨宝院というお寺に養子に出されます。そしてついにその生涯において実母の顔を知ることはありませんでした。最初から母親の愛情というものを知らずに育った彼は、包み込まれるような女性からの愛情に常にあこがれていました。この作品は晩年に書かれたものですが、それでもこういう形で表現されているところからすると、そのあこがれはついに彼の一生を支配してしまったことがわかります。女性の方には特にお勧めの作品です。
室生犀星 「或る少女の死まで」
「ふるさとは遠きにありて・・・」でお馴染みの室生犀星ですが、小説も書いています。処女小説が30歳の頃に書いた「幼年時代」で、その続編が「性に目覚める頃」。そしてそのまた続編がこの「或る少女の死まで」ということで、3部作になっています。主人公がまだ若く東京で苦労している頃、隣に住んでいる家族と親しくなります。特に9歳のふじ子ちゃんという女の子とは非常に深い友情で結ばれます。幼い彼女は経済的、精神的に苦しむ作者の心の救世主になります。なんとも清々しいものがあります。こういう美しい心の交流、優しさ、慰め、癒しは、まさに室生犀星の作品の本質に大いに関係する部分です。室生犀星という人は本当に人生そのものがそっくり悲しい物語として成り立つほど、苦労の連続、悲しみの連続でした。「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」という歌にあるように、室生犀星は1889年に加賀藩(金沢)で私生児として生まれます。そしてすぐに養子に出され、実の両親の顔すら知りません。人生の始まりがこれですから生まれながらにして悲しみを背負っていたわけです。そして蔑視に耐えながら、また母の面影を慕いながら成長します。そういった背景が作者自身にあるので、いずれの作品にもそれらが投影されており、静かな悲しみを感じずには歌も小説も読めません。神様は室生犀星に文才を与えるだけでなく、人生そのものまで作品になるように導いたのではないかと思ってしまいます。本人はつらかったでしょうけど、作品と生き様を含めた室生犀星の全ては永遠に人の心を揺さぶり続けることだろうと思います。
室生犀星 「杏っ子」
金沢が生んだ文豪、室生犀星を知らない人はいないでしょうが、その悲しい生い立ちをご存じでしょうか?聞くも涙、語るも涙のつらい幼少時代を過ごしています。室生犀星は加賀藩の足軽頭の家に私生児として生まれます。生まれてすぐに近くのお寺に引き取られ、そこで私生児として戸籍を得ます。そして実の両親の顔を全く知らないまま成長していきます。「妾の子」と馬鹿にされながらも強く生きていきます。このことは彼の作品だけでなく生き方そのものに大きく影響しています。彼は生涯生みの母親の姿を求め続け、その想いは作品の中でも表現されています。故郷金沢と顔を知らない両親への追慕が生涯に渡ってのテーマとなりました。悲しい境遇に育ったという人は昔は決して珍しくはありませんが、そういう人たちが決まって大人になってすることは何でしょう?それは、自分の子どもは愛情いっぱいの家庭で育て、必ず幸せにしようと努力することです。この作品はほとんど彼の自伝ですが、杏っ子のモデルは自分の娘です。彼が娘にそそぐ愛情の深さは、逆に彼のそれまでの不幸を反映しているかのようです。大事に大事に育てて、幸せな人生を送らせようとするわけですが、これがまた運命の皮肉で、結婚というものが彼女に不幸をもたらします。小さい頃は親の愛の傘の下で天真爛漫に生きていた杏っ子は、大人になってからは不幸と戦います。自分のように悲しい思いをさせたくないと思っていたのに、結局は娘もまた悲しみを味わうことになる、そういう人生の残酷さを描いていく彼の姿勢は、まるで自分の生涯の仕上げとして全ての情熱をつぎこんでいるかのように真剣です。そういう背景を持った作品ですが、物語として非常に面白く読めます。長いですが飽きさせません。室生犀星の生い立ちにおける悲しい軌跡を予め知った上でこの作品を読むとより感慨深いものがあります。家族の愛というものを考え直すきっかけになる作品だと思います。
室生犀星 「抒情小曲集」
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
この名文、知らない人は少ないでしょう。日本人として誇りに思うべき日本文学史上の傑作だと思います。暗誦すべき名作の一つだと思います。この作品は室生犀星の詩集「抒情小曲集」の中にある、「小景異情-その二」という作品です。この作品をはじめ、「抒情小曲集」には室生犀星の心を写しとった美しい詩がたくさん入っています。それにしてもなんと美しい詩を書く人でしょうか。その繊細な詩の一つ一つは本当に心の底までじーんとしみてくるものがあります。何度も読み返して涙がじわっと浮かんできます。室生犀星の生い立ちは苦労の連続で、不幸という不幸を味わいつくしています。その中で人の優しさを知り、他人の心の痛みがわかるようになったからこそ、こういう美しい詩を生み出せるのではないかとえしぇ蔵なりに理解しています。
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
この名文、知らない人は少ないでしょう。日本人として誇りに思うべき日本文学史上の傑作だと思います。暗誦すべき名作の一つだと思います。この作品は室生犀星の詩集「抒情小曲集」の中にある、「小景異情-その二」という作品です。この作品をはじめ、「抒情小曲集」には室生犀星の心を写しとった美しい詩がたくさん入っています。それにしてもなんと美しい詩を書く人でしょうか。その繊細な詩の一つ一つは本当に心の底までじーんとしみてくるものがあります。何度も読み返して涙がじわっと浮かんできます。室生犀星の生い立ちは苦労の連続で、不幸という不幸を味わいつくしています。その中で人の優しさを知り、他人の心の痛みがわかるようになったからこそ、こういう美しい詩を生み出せるのではないかとえしぇ蔵なりに理解しています。