蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

太宰治 「ヴィヨンの妻」

太宰治の作品の中でも特に評価が高いのでご存知の方も多いと思いますが敢えてご紹介します。えしぇ蔵は自分でも小説というものを、極めて拙いですが書くことがありますが、この作品を読んだ時には「あぁ自分には小説なんて書けないんだな」と強制的に認識させられました。こんなすごいのは自分には無理と思いながら一気に読んで、読み終わった後に大きなため息が出ました。太宰治とは如何なる者ぞと思う方はこの作品一つで十分にわかるのではないかと思います。無駄がなく構成のしっかりとした物語が、テンポよく進んでいきます。登場人物の心理は明確に把握できますし、読者の心にどっしりと重いものを置いていく感じはさすがです。何より女性の心理の描き方が素晴らいく、この点は他の追随を許しません。おそらく多くの名を成した男性作家の中でも女性の気持ちが一番わかっていたのは太宰治ではないかと思います。ストーリーは例によって家族も養えないようなろくでなしの男が主人公です。この男は詩人で、作中で書いた論文のテーマが15世紀のフランスの詩人フランソワ・ヴィヨンだったので、このタイトルになっています。とは言っても実際の主人公はその奥さんの方です。ろくでなしの詩人の妻として自分はどう生きるべきか?どうすれば自分の力だけで強く生きていくことができるか?を考えて、積極的に行動に出ます。破滅しか見いだせない憐れな男と、希望を抱いて前進する妻という対照的な存在をからめて、戦後の混乱期の社会の一コマを描いています。えしぇ蔵思うに完璧な作品です。でもあまりに完璧すぎで、これから小説を書こうという方には自信喪失になるかもしれませんのでご注意下さい。

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太宰治 「富嶽百景」

太宰治のすごさを説明するとすれば必ずこの作品は例として取り上げられます。主人公が富士山をどういうふうに見て、どういう感慨を持ったか、分析するような感じでたんたんと始まる富士山をテーマにしたショートストーリーなんですが、芸術性が高く非常に高品質な文学であることに誰しも気付くでしょう。「富士には、月見草がよく似合ふ」は有名なくだりです。太宰治は一時期、御坂峠の天下茶屋というところに滞在するわけですが、そこから真正面に富士山が見えます。ファンの人はここを訪れるのはお約束です。ではなぜこの御坂峠の天下茶屋に滞在することになったのでしょうか?太宰治の人生を振り返ってみると自殺未遂、心中未遂を繰り返す悲観的なもので、まるで早く死なないといけないという義務でも課されているかのようでした。そして昭和12年に内縁の妻であった小山初代とカルモチンを使って自殺を図りますが失敗し、その影響で1年間執筆活動を休止します。そんな彼を見かねた師匠の井伏鱒二が、彼にこの御坂峠の天下茶屋での静養を勧めます。前述のとおりその茶屋の真正面に富士山が見えていたことがこの作品が生まれたきっかけとなりました。その後、石原美知子と見合い結婚し彼の精神状態も安定してきます。そこからはまさに快進撃です。この作品を筆頭に続々と後世に残る名作を発表していきます。戦後になると時代の寵児となり、新戯作派、無頼派の一人として自らの文壇における位置を確立します。まさに光に満ち溢れた未来が待ち受けているという印象だった彼ですが、昭和23年に玉川上水に身投げして心中します。しかも相手は奥さんではなく愛人の山崎富栄でした。まるで人生にしがみついて必死に生きる人が滑稽に見えたかのように彼は人生をあっさりと捨ててしまいます。そこへ至る真の理由は様々な説があげられていますが真相は玉川上水の水とともに彼岸へと流れていきました。葛藤そのものが人生であったような彼が再起を図ろうとした時に書いたこの作品にはどこかにそのヒントが隠されているのかもしれません。

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太宰治 「道化の華」

この作品を読んだのは東京にいた頃でした。自分も小説を書きたいと思って真似事をしたりしていましたが、これを読んでかなりのショックを受けて、小説を書くということはとても自分ごときレベルではなし得ないことなのだと痛感させられたのを覚えています。最初の数ページを読んで頂くだけでわかりますが、恐ろしいくらいのハイレベルです。ストーリーが面白いとか、文章が美しいとか、構成がしっかりしているとか、人物描写が巧みとか、そういう次元は超越してもっと先へ行こうとして新たな道を探っている小説という印象を受けます。小説というものに対する一般の既成概念を崩そうと実に果敢に挑戦しています。前衛的であり、実験的であり、抽象的です。例えば人称が入れ替わる点には最初かなり戸惑いを感じます。主人公の大庭葉蔵が「僕は・・・」と語っているかと思いきや、急に「大庭葉蔵は・・・」と視点が変わります。そうかと思えば今度は作者が登場したり、と読み手の視点を定まらせずに物語は進んで行きます。読みながら、あれ?あれ?の連続です。一度でさっと読むことができません。同じ箇所を何度か読み直しながらでないと先に進めません。太宰治に翻弄されっぱなしです。きっと戸惑う読者を思い浮かべてほくそ笑みながら書いたのではないかと思ってしまいます。この作品、もともとは普通の小説として書いたものを後から形を変えていったそうです。普通に描いたデッサンを徐々にデフォルメして抽象絵画を描いていくような感じでしょうか?川端康成や志賀直哉の作品をルノワールやモネやスーラに例えるとすれば、確かにこの作品はピカソ、ミロ、クレー、カンジンスキーの作品を連想させるものがあります。しかもこの作品はデビューの頃に書かれていますからさらに驚きです。いまや伝説となった人の類稀な才能にあなたも触れてみて下さい。

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太宰治 「魚服記」

明治から昭和初期までの日本は多くの文豪を世に出してきましたが、中でも圧倒的な人気でしかも未だにそれが衰えないのが太宰治です。特に女性からの支持は特筆すべきものがあります。男性の作家の中で最も女性の心理を適確に表現した作家と言ってもいいかもしれません。どうして太宰治はこれほどまでに人気を集めるのだろうかとえしぇ蔵が疑問に思ったのは20代前半の頃でした。そしてその謎を解くべく作品を片っ端から読みました。恐らくほぼ全作品を読んだと思います。さすがにそれだけ読めばその答えの一部が見えてきましたが、この「魚服記」を読んだ時には特になるほどと感じました。発想、展開、構成、美文・・・あらゆる面で圧倒されました。太宰治流の独特のオリジナリティの前にはもはや賞賛の言葉も見つからないという感じです。修行を積めば書けるという次元のものではありません。この作品は、太宰治の故郷である津軽の民話をベースにして創作された、摩訶不思議な物語です。一種の大人向けの童話みたいなものかなと思いながら読みすすんでいくとさにあらず、いつのまにか理性では判断しかねる世界に入っていることに気付くと思います。一回読んで「うん。いい作品だ」と思う人は逆に少ないかもしれません。きっと多くの人は、「え?結局どういうこと?」というふうに感じることでしょう。そこでお願いしたいのが、決して一回読んで終わりにしないで欲しいということです。どうぞ二回以上読んで下さい。きっと読むごとに味わいが増してきます。名曲や名画もそうですが、優れた作品は繰り返し楽しむことでますます体感できていくものです。最初が「訳わからん」だったとしても、いづれ「すごすぎる・・・」に変わっていくと思いますよ。

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太宰治 「駈込み訴え」

太宰治は坂口安吾、織田作之助、石川淳とともに「無頼派」、「新戯作派」と言われる作家で、退廃的な作品が多いことは皆さんご存知のことと思います。マイナス思考でなげやりな生き方を表現するような作品群を読むと誰しもそれに異存はないでしょうが、でも一つだけそこにそぐわない要素が彼の場合はあります。それはキリスト教です。太宰治がキリスト教にどういう関心を持っていたのか、どう捉えていたのか、今では推測するしかありませんが、もしかすると自らの内面の苦しさから逃れる一つの道としてキリスト教に近づいていたのではないかなと思われます。その一端がうかがえるのがこの「駆け込み訴え」です。この作品は聖書に出てくるユダの密告のシーンをユダの一人語りという形で描いています。ご存知のようにユダは主イエスを裏切って、銀貨30枚と引きかえにその身柄を売ります。ユダが自分の激しく混乱する内面を表現するかのように、すごい勢いで”あの人”、つまりイエス・キリストの罪を訴えます。それはまるで自分の罪の重さをごまかそうとするかのように激しいものですが、これは実は自らのイエス・キリストへの激しい愛の裏返しにすぎません。愛しているからこそ必要以上に激しく弾劾してしまいます。作品は訴えるシーンのみで終わりますが、この訴えが発端となりその後イエスがどうなったかは皆さんご存知の通りです。この作品の中でのユダはまさにキリスト教への思いに揺れる太宰治自身ではないでしょうか?個人的にはどうもそんな気がしてしょうがないわけです。太宰治はこの作品を奥さんに手伝わせて口述筆記で一気に仕上げたそうですが、天才の成せる技はやはり常人の理解をはるかに超えていますね。

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