蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

芥川龍之介 「地獄変」

既にご存知の方も多いとは思いますがここで紹介せずにはいられないほどの非常に強烈な作品なので敢えて書かせて頂きます。およそ芸術作品と呼ばれるものにとって、見る側に与えるインパクトは非常に重要な要素であることは否めません。えしぇ蔵は様々な文学作品においてインパクトを受けましたが、およそこの作品ほどの強烈なものはありませんでした。ここでいうところのインパクトは”戦慄”とも言えますし、”恐怖”と表現してもいいと思います。初めて読んだのは大学生の頃でしたが、衝撃的なラストシーンではしばし呆然としたのを覚えています。作品の内容もさることながら、文庫本でわずか46ページの短編でここまでのインパクトを与えることができるという芥川龍之介の手腕にも驚きました。この作品は芥川龍之介が得意とする”王朝もの”の一つです。”王朝もの”というのは作品に描かれる時代がだいたい平安時代くらいまでのものを指します。「羅生門」、「鼻」、「偸盗」、「藪の中」、「芋粥」、「俊寛」などがそこに含まれますがいずれ劣らぬ名作ばかりです。その中でもこの作品は一段と光を放っていると個人的には思います。主人公は当代随一の絵師。ある日大殿様に地獄変の屏風を描くことを命ぜられます。ところがどうもうまく描けず、ついには地獄を見る必要があるという結論に達します。そこで大殿様に頼んで女性を乗せた牛車を燃やすところを見せてもらうことにします。そしていざ牛車に火がかけられる時、中に乗っている女性が誰かに気付いて絵師は驚きます……。その後の絵師の行動にも慄然とさせられます。まだ読んでいない方は是非、そして読んだ方も今一度あのインパクトを体験して下さい。

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芥川龍之介 「或旧友へ送る手記」

1927年7月24日、芥川龍之介は田端の自室で服毒自殺をします。当時の世間をあっと驚かせた事件でした。晩年、神経衰弱の激しかった彼はずっと死ぬことばかり考えていたようで、後期の作品からもそのことがうかがえます。そして最後はこの作品というか、手記を残して世を去ります。これは親友の久米正雄宛だと言われています。この手記の中にある彼の自殺を決意した理由が書かれた部分はあまりにも有名です。「君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」彼を苦しめたぼんやりとした不安とは具体的にどういうものだったのか?彼は本当に死ぬ気だったのか?それとも実は狂言で誰かに止めて欲しかったのか?多くの研究者が独自の説を主張していますが、もはや唯一真実を知る本人は遠い過去に旅立っています。芥川龍之介が好きで、彼がどんなことを考えていたかを知りたいという方は、もろもろの研究本を読む前にまずこの彼自信の言葉に耳を傾けて下さい。ここにこそ真実が隠されているはずです。一文字づつに彼の苦しみがこめられているようで実に痛々しい気持ちになります。天才のこの世における最後の言葉です。ただし作品としてはこれが最後ということになってますが、遺書は別にあります。この作品もそうですが、遺書も「青空文庫」で読むことができますので是非合わせて読んでみて下さい。なお、遺書のほうでは子どもへのメッセージ、奥さんへのメッセージが含まれていますが、子どもへのメッセージの部分は生きていく上での恐ろしいまでの具体的なアドバイスがなされており、芥川龍之介の人柄を知る上で大いに参考になると思います。

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芥川龍之介 「蜜柑」

最も優れた短編小説作家は誰か?とくれば志賀直哉と芥川龍之介の名前が誰しも浮かぶところでしょう。個人的にもこの二人の短編は完璧だと思います。雲の上のような高い水準にいます。短編で読者をうならせるというのは至難の業です。長編なら少しづつ説明できるような登場人物のキャラクターや舞台背景、自然なストーリーの展開、作者として作品にこめたいメッセージ、様々な効果を出すための文章のテクニックなどを少ない枚数に凝縮してしまわないといけません。読むのもせいぜい数分から一時間であり、何日もかかるわけではありません。その短時間のうちに読者の心の中に何かを残そうというわけですからまさに至難の業です。それに失敗して単なる短い文章に終わり、読者の頭から翌日には消えてしまっている作品も少なくありません。まさに作家の力量のみせどころですね。芥川龍之介は王朝ものと呼ばれる歴史ものや「河童」みたいな不思議な話などに見られるように、エンターテイメント性も含んだ面白さで読む人をひきつけますが、この「蜜柑」はそれらとはちょっとテイストが違います。おそらく芥川龍之介が実際に見た情景を描いているようです。電車の中で一人の少女が寂しそうに座っているのを主人公が見かけるところから物語は始まります。電車がトンネルに入ろうとする時にその少女は一生懸命に窓を開けようとします。そしてなんとか窓は開いて電車がトンネルを抜けると、外の景色の中に少年が三人並んで電車に向かって何か叫んでいるのが見えます。その三人に向かって少女は手を振って、持っていた蜜柑をいくつか投げます。要するに奉公かなにかに行く少女を見送りに来た弟たちに、少女は蜜柑をあげて別れを惜しんでいるわけです。このシーンの美しさ!目の前にありありと情景が浮かんで心がふるえます。別離の悲しみの中に家族の愛を描いて心温まるものを残してくれる素晴らしい作品です。短いですが大量に感動を与えてくれます。まさに短編小説の一つの模範と言えるかもしれません。

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芥川龍之介 「羅生門」

日本で最も優れた短編小説の書き手は誰か?ということを考えるとすれば、絶対に最終選考まで残るのが”小説の神様”志賀直哉と、”知性の鎧を着た”芥川龍之介ですね。他にも優れた短編小説作家は数多くいますが、この二人はちょっと別格の感があります。ただ、どちらも優れているとはいえ、全くタイプが違います。志賀直哉の場合は普段の生活の中において自然体で書かれたという感じがして、読む時にもリラックスして読めますが、芥川龍之介の場合は強く訴えるものがあったり、感性を激しく揺さぶろうとするものがあったりして、読み手をぐっと引きつけはしますが読後はちょっと疲労を感じます。例えばこの「羅生門」を読めばそれが実感できると思います。一般に芥川龍之介の代表作とくればこの作品が最初に思い浮かぶ人も多いでしょう。これは彼が得意とした、歴史から題材をとった「王朝もの」といわれる作品群の一つです。戦乱が続き、飢饉や疫病の蔓延などで荒廃した昔の京都が舞台です。京都のような都には大きな門があちこちにあるのが常ですが、羅生門もその一つとして登場します。実際に京都で大きなお寺の山門などを見ればこの作品の情景がすぐに浮かぶと思います。ここで言う門とは、小さな屋敷の門ではなくそれだけで一軒の大きな家ぐらいの規模のある大きな門です。その二階においてドラマは進行します。人間が追い詰められて限界にきた時、生きるためにやむを得ず行う悪事は果たして許されるのか?そういったかなり重いテーマを扱っています。こういう極限状態における倫理観というのは実際にその状況を経験したことがない者にはとても裁くことができない問題なのかもしれません。そんな深い問題を短いストーリーに凝縮して読み手にどかんとぶつけてくるところがまさに芥川龍之介的なところです。おもしろいけどどっしりと重い名作をお楽しみ下さい。

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芥川龍之介 「藪の中」

よく未解決事件などを表現するのに、”真相は藪の中”といいますが、あれはこの作品からきています。芥川龍之介の傑作「藪の中」は、一つの事実を、それに関係する複数の人間の口から語らせると各々のエゴが介在して少しづつ変化してしまうということをテーマにした、人間の心理の底の暗闇を見せるような非常に面白い作品です。短い話なのでここでストーリーを詳しく説明すると興をそぎますので簡単に。ある男の死体が発見され、真相究明のために関係者が証言します。男と争った若い盗人、男の妻、目撃者などが語る真相はどれも食い違っています。最後は霊能者を通して殺された男が証言します。さて、誰の証言が真実なのか?という内容です。ちょっと推理小説的要素も含んでいます。実はこの作品は『今昔物語集』巻二十九第二十三話を元にしています。古典を題材にして自分なりの物語に変えてしまうのは芥川龍之介の得意技です。そしてこういう複数の人物の証言で構成するという手法は、アメリカの作家アンブローズ・ビアスが「月明かりの道」という作品の中で使っています。当時アンブローズ・ビアスを日本に紹介したのは芥川龍之介なので、おそらくその影響を受けたのではないかと言われています。ちなみに黒澤明の有名な映画「羅生門」は、芥川龍之介の「羅生門」と「藪の中」を合体させたようなストーリーになっています。この作品の真相は読者の判断に任される形で終わりますので、多くの人がこれにチャレンジしました。これまでにたくさんの論文などが発表されています。是非皆さんもこの傑作を読んで、自分なりの結論を出してみて下さい。

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芥川龍之介 「河童」

芥川龍之介の命日を「河童忌」というのはこの作品からきています。彼が服毒自殺をしたのは1927年7月24日です。そしてこの作品は1927年の発表ですからいわば晩年の作品になります。読み手を不思議な世界に誘うこの作品は、確かに初期の作品群とは一線を画しています。執筆当時は既に睡眠薬は常習になっていた頃でしょうし、若干トリップしたような状態で書かれたのではないかと勘繰ってしまうものがあります。主人公はふとしたことから河童の世界に迷い込んでしまいます。非現実的な河童の世界でのいろんな出来事はまさにファンタジー的に描かれています。夢が広がる楽しさがあります。でもそれだけなら単なるおとぎ話ですが、芥川龍之介の作品はストーリー展開で読者の意表をつくのがお約束ですので、そう簡単には終わりません。しっかり最期には驚きの結末が待っています。物語の最初からずっと主人公の目線で読んでいきますので、当然読者は主人公の立場にたって全てを見ています。それが最期になってどんでん返しをくらうので、あれ?じゃぁ今まで自分が主人公と一緒に見てきたものは一体何?と混乱します。一体何が本当で何が嘘なのか?主人公は正気なのか狂っているのか?あれ?あれ?という感じで不思議な心境にさせられたままこの話は終わるのです。この読後の複雑な心境。この作品ではそれが一番の醍醐味です。きっとあなたはもう一度読み直すか、あるいは自分なりに何が真実だったかを探るために頭を整理したくなることでしょう。ちなみにえしぇ蔵はこの作品に影響されて、舞台となった上高地を訪れました。

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