蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

島崎藤村 「千曲川のスケッチ」

島崎藤村は一時期、長野県の小諸にある小諸義塾で教師をしていました。その頃体験した小諸の自然の美しさや、地元の人とのふれあいをまるで絵画のように美しく描写したのがこの作品です。もしあなたの前に心洗われるような、長閑な美しさに満たされた田園風景が広がっているとしたらまず何をしますか?今ならおそらく手持ちの携帯やデジカメで写真を撮る人が多いでしょうね。あるいは絵が描ける人ならカンバスを置いて絵筆を握るかもしれません。なんとかして自分の見た美しさを別の形で残して、後でまたそれを見て思い出して楽しみたいと思うのはごく自然な心理だと思います。島崎藤村はそれを文章でやってみてはどうだろうか?と思ったわけです。物語として綴る文章ではなく、今見たものの美しさを表現する文章があってもいいのではないか?と考え、ちょうど詩と物語的な小説の中間にあるような、芸術性を重視した文章という形で自分が見たものの美しさを表現したのがこの作品です。ただここでいう美しさというのは単に自然の美を指すだけではありません。そこに住む人々との交わりを通して、自然とともに生きる人々の心の美しさ、素朴に生きる姿の美しさをも表現しています。「千曲川のスケッチ」は、島崎藤村が原稿用紙をカンバスとして、そこに言葉という絵の具で見たもの感じたものを表現したものですので、「さて、どんな話だろうか?」と紐解いて一気呵成に読破するようなタイプの作品ではありません。時間の余裕のある時にゆっくりと読んで、自分なりにその光景を頭に描いてじっくりとそこに浸るという感じで楽しむというのがいいと思います。この作品の場合は、「読む」というより「感じる」と表現したほうがいいかもしれません。ストレスの多い現代社会においては心の休養が必要です。是非この作品を読んで、心身ともにリラックスして下さい。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

島崎藤村 「夜明け前」

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」この有名な文章を見たことありませんか?これは島崎藤村の晩年の大作「夜明け前」の書き出しです。芸術的でありながら簡潔。読み手の頭に情景を浮かばせる適確な描写は実に見事です。そんなふうに始まるこの名作は一体どんな話なのでしょうか?簡単に言うと島崎藤村が自分の父親をモデルにして描いた明治維新前後の歴史小説的文学小説です。文字通り日本の”夜明け前”を描いています。幕末から明治を舞台にした歴史小説は山ほどありますが、それらの作品というのはほとんどが歴史上偉大な足跡を残した有名な人が多いですよね。そういった作品を読む時にいつも思うのは、「その頃の庶民の人たちはどういうふうに感じ、行動したのだろう?」ということです。そういった点に着目した作品は意外に少ないですが、この名作はそこをうまくついています。島崎藤村は自分の身近な環境を背景にして、明治を迎える劇的な日本の時代の流れを一般庶民の視線から描こうとしたのではないかと思います。島崎藤村はその溢れんばかりの才能を様々な作品で世に送り出すとともに、様々な苦悩も経験しています。作家として、人として、多くのキャリアを積んだ後に、その集大成であるかのようにこの「夜明け前」に取り組んでいますので、作品の質においては計り知れない水準にあります。まさに日本文学の金字塔的傑作です。正直言ってこれほどの作品が今後の日本の文学界において出てくるとはとても思えません。日本文学への興味の有無関係なしに、日本に生まれたからには是非読んで頂きたい作品です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

島崎藤村 「破戒」

この作品の紹介文を書くために今えしぇ蔵は座りなおして背筋を伸ばしました。日本の文学の発展に大きく貢献した偉大なる名作ですから、島崎藤村に対する最大限の敬意を表す意味でそうしました。今回はそれぐらい思い入れが入っています。えしぇ蔵的にはこの偉大なる作品を3つのポイントを上げてご紹介しようと思います。1つめはこの作品が日本における自然主義文学の幕開けを告げた作品であるということ。自然主義文学はフランスで19世紀末にエミール・ゾラから始まった文学運動で、現実を観察し、いっさいの美化を排してありのままに描くというものです。日本の文学界においてこの手法で書かれた作品の先駆けが田山花袋の「蒲団」とこの「破戒」でした。日本の自然主義文学の旗頭として後世に与えた影響は計り知れません。2つめは被差別部落の問題を取り上げたこと。日本においては昔からタブー視されるこの問題に真正面から取り組み、堂々と社会に対して問題提起しました。その勇気は尊敬に値します。島崎藤村本人は家柄のいい裕福な家に育っていながらこの問題に取り組んだわけですから、問題提起によって注意・変革を促すという作家としての強い義務感が彼を動かしたものと思われます。ただ、この作品における被差別部落の問題の捉え方には賛否両論ありまして、発表後にかなりもめます。簡単に言うと主人公は被差別部落出身ということを告白し、恥じてどこかへ去って行くという結末に対し、「なぜ恥じる必要があるのか?」という意見が出て来たわけです。部落開放運動を展開していた「全国水平社」は、一時はこの作品が逆に差別を助長するのではないか?という見方になっていましたが、後にはやはり啓発の意味では必要な作品だという見方に変わったりと、その評価は時期によっていろいろ変わりました。この点は読んで頂いて個別に判断して頂きたいところです。3つめは小説のお手本にしばしば引用されるほどの美しい文章です。全体に彼の作品の文章は美しいですが、特にこの作品の「蓮花寺では下宿を兼ねた・・・」で始まる冒頭部分は名文中の名文です。以上3つのポイントを上げましたが、要するにこの名作はあらゆる角度から魅力を発しているということを言いたいのです。日本文学史に燦然と輝く記念碑的名作です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

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