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福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

佐多稲子 「くれない」

佐多稲子は夫の窪川鶴次郎とともにプロレタリア文学を語る上で欠かせない存在ですが、窪川や中野重治に勧められて小説を書き始めた佐多の方が、なかなか日の目を見ない窪川を差し置いて先に世に出ます。そのうち共産党での活動で窪川は検挙されてしまいしばらく獄中生活を送りますが、刑務所から出てきた時にはすっかり佐多は有名になって稼ぎも多くなっていました。こういう自分より嫁が稼ぐという状況に置かれた男性というのは非常に大きな精神的打撃を受けます。同じ状況の男性にはよくわかることだと思いますが、家に帰っても”座るところがない”感じがするわけです。情けないという思いに苛まれます。そうなると悲しいかなどこかに逃避したくなる。心の救いを求めるようになる。それが窪川の場合は、佐多の友人でもあり作家でもあった田村俊子でした。嫁の友人を愛人にしてしまったわけです。それが発覚した後もしばらく二人はぎくしゃくしつつも同棲は続けますが、ついには離婚します。この一連の経過をほぼそのまま書いたのがこの作品です。登場人物の名前こそ変えてはありますが、ほぼ自分たちの赤裸々なドキュメンタリーです。これを佐多稲子は「婦人公論」に連載していましたから、今で言うワイドショーネタを自分で書いて発表していたようなものです。おそらく当時の人たちは興味本位でこの作品の展開に夢中になったのではないでしょうか?二人で話し合って別れると決めたのに、どちらも未練を残してずるずると中途半端な状態を続けてしまう。好きなのに別れようとする男女によくある光景をリアルに描いています。包み隠すことなく私生活をネタにしてしまうというのはこの当時の文学界ではよくあることでしたが、そういった作品の中でも妻の愛と男のプライドのせめぎ合いを見事に描いている点でこの作品は出色の出来ではないかと思います。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

佐多稲子 「キャラメル工場から」

もしかすると人はそれぞれ生きている間になすべきこと、つくべき職業というものが用意されているのかもしれないと思うことが時々あります。たとえそのことに気付かずに別の道を歩んでいても、ふとしたきっかけで本来歩むべき道を知り、その方向へ進んでいくと泉のように才能が湧き出てたくさんの素晴しい結果を残すということはよくあるようです。一方で早くから一つの道を決めて長年努力してもなかなか開花しない人がいることも確かです。そうなるとやはり神様が見えないレールを用意している気がしないでもないですね。佐多稲子は東京のカフェーで働く、ごくありふれた貧しい女性でした。ところがそのカフェーを同人雑誌「驢馬」のメンバーである中野重治や堀辰雄らがよく利用したことから運命が一転します。彼らと知り合ったことで文学の世界への扉は開かれます。そして自分がかつてキャラメル工場につとめていた頃のことを題材にこの作品を書き、プロレタリア文学の作家として認められます。こういうふうに書くとこの作品が勇ましく労働者のために戦う作品のように思われるかもしれませんが、そうではなく貧しい女工が経営者に酷使される世界を悲しく描いています。体験をもとにしていますから情景が非常にリアルに浮かびます。作品から伝わる悲しさが一つの訴えとなっているので、そういう意味でいうとまさにプロレタリア文学です。激しい憤りを底に秘めつつ、静かに戦い静かに訴えているという印象を受けます。佐多稲子は早くから文学を生きる道として勉強してきたわけではないのに非常に素晴らしい文章を書く人です。これこそまさに彼女が書くために生まれてきたのではないかと思われる一つの理由です。労働者のために書いて戦えと神様が彼女に才能を授けたのではないでしょうか?その使命を彼女は見事に果たし、文学史にしっかりと名を残して逝きました。つらいことも多かったでしょうが、才能を無駄にしなかった人生を過せて彼女は幸せだったと言えるのではないでしょうか。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

佐多稲子 「機械の中の青春」

この作品は典型的とも言うべきプロレタリア文学で、佐多稲子の本領発揮というところです。労働者の苦しみを描いた悲しく、勇ましい作品です。作品の中ではそれぞれに個性豊かな女工たちがたくさん登場し、それぞれの思惑で工場で必死に働いています。恋愛するものもいたり、優秀な女工としてのプライドに生きるものもいたり、労働者の待遇改善のために立ち上がるものもいたり、ただ皮肉を言うだけのものもいたり……。彼女らによっていろんなドラマが展開し、絡みあっていきます。作品全体の構成が複雑ながらもきちんとまとまっていて、高い水準の技術を見せ付けられるという感じがします。「キャラメル工場から」にはまだ若干の素人っぽさが感じられますが、この作品は完成度の高さからしても彼女の作品の中でもトップクラスだと思います。佐多稲子はこの作品を書くために実際に工場の女工たちと一緒に暮らしたそうです。どんな優れた作家であろうと、実体験のある人の心のうちを忠実に描くことはできません。技巧によってそれらしく見せることはできるでしょうが、所詮は表面だけのものになってしまいます。一方で実体験のある人がもれなく文学的才能があるわけではありません。ですから自分の体験を文学という形で残そうにもうまく表現できないという例は珍しくありません。すごい体験をした人の作品だからさぞかし、と思って読んでみて意外に感動が薄くてがっかりしたということはえしぇ蔵も何度かありました。つまり体験をした人と文学的才能がある人というのが一致することは稀なわけです。それを故意に可能にするには文学的才能がある人が自らの意思でその世界に飛び込み、実際に体験するしかありません。佐田稲子はそれを実践した人です。女工たちと一緒に働き、女工たちと一緒に寝起きし、笑い、苦しみ、汗を流したのです。そうして出来上がった作品ですから臨場感は極めて素晴らしく、また女工たちの心情も明確に伝わってきます。まさに”汗を流して書いた作品”といえます。これぞ本当のプロレタリア文学ですね。

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