蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

宮本百合子 「貧しき人々の群」

プロレタリア文学において女性として最も大きな足跡を残した宮本百合子の記念すべきデビュー作です。日本女子大学に在学中に書かれ、父親の知り合いを通じて坪内逍遥にこの作品が渡ります。この大先生によって賞賛されたから大変なことになります。そこから滝田樗蔭の手に渡り、「中央公論」において広く世間に発表されます。大先生の太鼓判付ですからすぐに一世を風靡し、「新しい閨秀作家が生まれた」と当時の新聞にでかでかと書かれてあっさりと文壇の仲間入りです。彼女は大学を退学して早くも作家生活に入ります。この人の場合はこんな感じで最初からすごい人でした。そしてその後プロレタリア文学の大きな流れを作る一人になるわけですが、この作品で既にその目指すところが見えています。社会の一番下の層にいる貧しい人々の憐れな姿を見て、この不合理な社会を改善すべく自分は何かをしなければいけないと主人公の少女は一人決心して行動に移しますが、現実はそんな彼女の意気込みをあざ笑うかのようにその善意を跳ね返します。生活をよくしていこうという意志を貧しい人々の中に感じることができない彼女は、矛盾に苦しみつつ自分のなすべきことを探して悩みます。無駄にみえる小さな努力でもやめてはいけない、そのうちにきっと何かをつかむはず・・・そんな思いを支えに前進を続ける主人公の強い姿は、まさにその後の宮本百合子そのままです。彼女のデビュー作であると同時に、意思表明でもあるといってもいい名作です。

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大仏次郎 「地霊」

まず名前ですが、「だいぶつじろう」でも「おおふつじろう」でもありません。「おさらぎじろう」と読みます。この人は誰でも知っているある有名な作品の作者です。わかります?あの「鞍馬天狗」の作者なのです。これって意外と知られてないんですよね。作者の名前よりも作品の主人公の名前のほうが有名になるのはよくある話ですが、この人の名前は是非覚えて頂きたいです。ところで小説には大きく分けて文学小説と大衆小説があるのはご存じのとおりですが、ではその二つはどう違うのでしょうか?簡単に言えばストーリーよりも芸術性を追いかけるのが文学小説で、ストーリー重視なのが大衆小説ということになるとは思いますが、世の中にはその二つの要素をあわせ持つ優れた作品がたくさんあります。まさに大仏次郎の作品がそれにあたります。芸術的であり、かつ非常に面白い作品が多いです。ではどれから読むのがいいでしょう?まずはこの作品をお試し下さい。あんまり面白いのでえしぇ蔵は家でのデスクワークそっちのけで夢中になって読みました。舞台は革命前の帝政ロシアです。共産主義社会を目指す人々の活動を秘密警察が取り締まるという戦いが続く中で、主人公は警察の人間でありながら、共産党の熱心な活動家として潜り込み、スパイ活動をします。彼の党での活動は非常に目覚しく、誰もが一目置く存在となって徐々に大物になっていきます。誰も彼がスパイなどと夢にも思いませんでした。彼の作り上げた虚構は完璧に見えましたがほんのわずかな隙があり、スパイの容疑をかけられます。さぁ、彼はどうなるのか?ハラハラドキドキ!スパイものって興奮しますよね。面白さは保証します。これぞ芸術的大衆小説です。

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葛西善蔵 「遊動円木」

葛西善蔵を語る場合にはまずその破滅的な生き方が注目されます。常に貧乏の極致にいて家族や友人に迷惑をかけてばかりの生活なのに浴びるように酒を飲み、(その酒量のすごさは半端じゃありません)酔っ払った状態で極めて優れた作品を生むわけですから、天才というのは何を考えているかわからないものです。彼の文学への取組みにおける特徴として言えるのは、そういういわば”ろくでなし”状態を保つことがまずあげられます。そしてもう一つは友人を作品のモデルにすることです。それも平気でボロクソに書いたりします。当然友人は憤慨します。いわばだしに使うわけですから、そんなことを繰り返すうちに当然友人も離れていきます。この作品もそういういわくがついてるので、そのへんを理解した上で読むとまた興味深いです。内容としては主人公が奈良にいる友人夫婦のもとに一週間ほど遊びに行って、ある夜に夫人が公園の遊動円木に上手に乗ってみせるというこれといった起伏のない話なんですが、その友人というのが広津和郎のことらしいのです。友人は作品の中でも自分を小説の中で悪く書いたと抗議するシーンがあり、主人公は弁明しています。つまりはこういう諍いを葛西善蔵と広津和郎は度々やっていたようです。葛西善蔵の臨終の時にも広津和郎は枕元で難詰したということで、結局和解せずに終わったようです。小説のモデルにされて悪く書かれた人は広津和郎だけではなく、多くの友人があまり好意を持っていなかったようです。天才にとっては生活も友情も作品の材料にすぎないということなんでしょうか?何もかも犠牲にして文学に昇華させようとするなんて、まるで文学という宗教に身を捧げたかのようです。やはり天才の心中を推し量ることは難しいですね。

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夏目漱石 「二百十日」

夏目漱石は若い頃熊本で教師をしていましたが、1899年の9月1日に阿蘇山の登頂にトライしています。この作品はその時の経験をもとに書かれています。主人公の圭さんと友人の碌さんは阿蘇山の山頂を目指して登りますが、途中天候が悪化してあきらめます。実際に漱石も途中で嵐に見舞われて登頂は断念していますから、暴風雨で荒れる阿蘇の自然の様子や、足にマメができたり道に迷ったりという描写はおそらく体験記そのままだろうと思います。作品の構成は麓の宿での二人の会話に始まり、次が山道を行く様子、そして最後はまた元の宿での会話で終わります。会話が多くてテンポがいいのでスイスイ読み進みます。あまり深刻なテーマを投げかける作品ではないのですが、会話の中で碌さんがしきりに富裕層や特権階級への怒りを露わにしていますので、その辺に多少漱石の思いが含まれています。タイトルの二百十日というのは昔から立春から二百十日目くらいに台風が来て天候が荒れると言われていたのでそこからきています。この作品でえしぇ蔵が一番好きなのは漱石ならではのユーモアたっぷりの会話です。圭さんと碌さんが宿の他の客の会話を揶揄してる場面や、世間知らずの宿の女中との会話などは本当に絶妙な掛け合いで笑えます。実際、半熟卵のくだりでは読むたびに吹き出してしまいます。漱石のユーモアのセンスが遺憾なく発揮されているように思います。阿蘇の周辺ではこの作品に関するものがあちこちに見受けられます。漱石が登った登山道や宿泊した宿には文学碑があります。この作品を読んだ後に漱石と同じ宿に泊まり、同じ登山道を歩いてみるのもいいかもしれませんね。できれば9月1日ぐらいにね。ただし天候にはご注意を。

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横光利一 「上海」

この小説の舞台は1920年代の上海です。この頃の上海は実に興味深い状況にあります。東洋のパリと言われるまでに繁栄しており、様々な民族様々な文化が流入し混在していました。イギリスを筆頭に列強各国の資本も投入され企業は多数進出する一方で、ロシア革命から逃れて没落した上流・中流階級の白系ロシア人も多く存在しました。いわば類の異なる人間を同じ街に詰め込んだらどうなるだろうか?と誰かが実験でもしているような混沌とした社会を形成していました。横光利一が芥川龍之介に勧められて渡った上海はそういった状況にありました。そんな街を目の当たりにすれば彼でなくとも創作意欲はそそられたことだろうと思います。上海ではちょうどこの頃、1925年に「五・三〇事件」が起こります。これは、日本資本の綿紡績工場の争議中に死傷者が出たことをきっかけとして徐々に抗議活動が拡大し数千人規模のデモにまで発展し、それを鎮圧しようとして更に死傷者が出た事件です。この事件はその後の反帝国主義運動にまでつながっていきます。横光利一はこの「五・三〇事件」を物語の背景としています。展開もスリリングで、かつ他の作品同様風景描写が素晴らしく、ストーリーも面白いです。映画にしたらさぞかし大作になりそうな感があります。とにかく最初から最後まで楽しめる文章の巧みさには全く舌を巻いてしまいます。洗練された美しさと磨かれた知性と嫌味のないかっこよさがあります。これぞ新感覚派の文章です。大衆小説的面白さがあって、しかもこの文章ですからこれ以上何を求めるべきでしょうか?えしぇ蔵的には横光利一の代表作の中でも特に秀逸なのではないかと思います。絶対的にお勧めします。是非読んでみて下さい。

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山本謙一 「花鳥の夢」

山本謙一の作品は初めて読んだ「利休にたずねよ」で魅了されて以来、かなり読みました。本屋に行った時にはまず「や」のところに行って、読んでないものがないかチェックするのが癖になってるぐらいです。この人の作品は時代を動かした英雄たちに絡ませて、同じ時代を生きた異なる分野の人を描いているものが多いです。この作品の主人公は安土桃山時代の狩野派の絵師として永遠に名を残したご存じ狩野永徳です。「洛中洛外図屏風」や「檜図屏風」などで有名です。そしていずれも残っていませんが、安土城の障壁画、大阪城の障壁画、聚楽第の障壁画も描いています。当時の代表的な建築物を飾る絵を全て任されたことからも、当時の狩野派の勢いと狩野永徳の実力を知ることができます。生涯をかけて絵の道を究めつくそうとした永徳の人生ですが、描く楽しさから始まったものが、いつしか描く苦しみとなり、大好きだった絵は永徳の健康を蝕むほどになっていきます。そんな彼の前に現れたライバルの長谷川等伯は楽しみながら絵を描き、永徳に衝撃を与えるほどの作品を仕上げます。自分にないものを持つ等伯への対抗心にも苦しめられますが、必死にそこから新たなものを学ぼうとします。まさに壮絶な絵師の一生です。細かいところでは襖や屏風に絵を描いていく手法が説明されているので、技術的な意味でも興味深いものがあります。いつの時代にも芸術に命をかける人はいますが、その生き様はいづれも壮絶なもので、命の力というものを教わるような気がします。えしぇ蔵はこれを読んで、現存する永徳の絵を直にこの目で見たくなりましたが、きっと皆さんも読まれたら美術館に足を運ばれることでしょう。芸術への導きにもなるので、こういった作品は是非多くの人に読んで頂きたい思います。

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佐多稲子 「キャラメル工場から」

もしかすると人はそれぞれ生きている間になすべきこと、つくべき職業というものが用意されているのかもしれないと思うことが時々あります。たとえそのことに気付かずに別の道を歩んでいても、ふとしたきっかけで本来歩むべき道を知り、その方向へ進んでいくと泉のように才能が湧き出てたくさんの素晴しい結果を残すということはよくあるようです。一方で早くから一つの道を決めて長年努力してもなかなか開花しない人がいることも確かです。そうなるとやはり神様が見えないレールを用意している気がしないでもないですね。佐多稲子は東京のカフェーで働く、ごくありふれた貧しい女性でした。ところがそのカフェーを同人雑誌「驢馬」のメンバーである中野重治や堀辰雄らがよく利用したことから運命が一転します。彼らと知り合ったことで文学の世界への扉は開かれます。そして自分がかつてキャラメル工場につとめていた頃のことを題材にこの作品を書き、プロレタリア文学の作家として認められます。こういうふうに書くとこの作品が勇ましく労働者のために戦う作品のように思われるかもしれませんが、そうではなく貧しい女工が経営者に酷使される世界を悲しく描いています。体験をもとにしていますから情景が非常にリアルに浮かびます。作品から伝わる悲しさが一つの訴えとなっているので、そういう意味でいうとまさにプロレタリア文学です。激しい憤りを底に秘めつつ、静かに戦い静かに訴えているという印象を受けます。佐多稲子は早くから文学を生きる道として勉強してきたわけではないのに非常に素晴らしい文章を書く人です。これこそまさに彼女が書くために生まれてきたのではないかと思われる一つの理由です。労働者のために書いて戦えと神様が彼女に才能を授けたのではないでしょうか?その使命を彼女は見事に果たし、文学史にしっかりと名を残して逝きました。つらいことも多かったでしょうが、才能を無駄にしなかった人生を過せて彼女は幸せだったと言えるのではないでしょうか。

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原民喜 「夏の花」

悲しい運命を背負った作家は結構います。作家というものが本来悲しい運命を背負うべき存在なのかと思いたくなるほどです。原民喜もその一人で、その人生はまさに涙なしでは語れません。原民喜とくればすぐに連想するのは「原爆」です。彼は広島で被爆しました。そのことだけでも大きすぎる悲劇ですが、実はそれ以前からすでに悲しみを背負っていました。愛する奥さんが病に倒れ、数年の看病もむなしく先立たれてしまいます。彼は奥さんが死んだら一年後に自分も死のうと考えていました。そしてそれまでに奥さんとの思い出を一冊の詩集に書き残すつもりでした。ところがもうすぐ一年が経過というその時、奥さんのお墓参りをした翌々日に原爆が投下されます。幸い生き残った彼はこの世の地獄を目の当たりにします。そしてその悲惨な現実を作品にし後世に残すことを自分の新たな使命と考え、さらに数年生き延びる決意をします。そして生まれた作品の一つがこの「夏の花」です。奥さんの墓参りのシーンから始まり、原爆投下の瞬間、投下直後の広島の様子などが残酷なまでに克明に記録されています。「水をください」という声、「たすけてください」という声、彼の周囲は死で囲まれていました。いたるところに醜い死体と建物の残骸、人命も文化もわずかな価値さえ与えられず、簡単に奪われていきます。彼は逐次メモをとっていたので作品のリアリティが強烈で、それを洗練された文章で表現してあるので文学作品としても非常に水準の高いものとなっています。彼は原爆の悲劇を書き残したことで使命を終えたと考えたのか、1951年に鉄道自殺をします。悲しく短い人生でしたが、その作品は後世の人間に永遠に平和の尊さを訴え続けることでしょう。

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島尾敏雄 「夢の中の日常」

島尾敏雄の作品といえば大よそ3つのパターンに分けられます。一つは実体験をもとにしたリアルな戦争体験記です。「出孤島記」「出発は遂に訪れず」「その夏の今は」の三部作などが有名です。二つ目は名作「死の棘」に代表されるような家庭内の悲劇を描いたものです(ちなみにこの「死の棘」は1990年に小栗康平監督によって映画化され、カンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞しています)。そして三つ目はここで紹介する作品のような、”超現実的”な世界を描いた作品です。どんな世界?と思われるでしょうが、要するに自分の見た夢を文章で再現したもの、あるいはそれを元にして広がっていった世界を描いたもの、という感じでしょうか。そのことを知っていて読むのと知らないで読むのとでは作品の受け止め方が変わってきますのでご注意下さい。知らないで読んでいると途中で何が何やらわからなくなってしまいます。あくまで夢の世界ですから何でもありなわけでして、その摩訶不思議な世界に入り込んで遊んでしまいましょうよというものですからそのへんご理解下さい。それにしても創作の部分が多少混じっているとは思うのですが、よくここまでリアルに夢を覚えていられるもんだなと感心します。この作品を読んで、自分でもちょっと真似してみようと見た夢を翌朝思い出そうとしましたが、なかなかできるものじゃないです。夢を見ている時はいろんなことが展開していくのに、目が覚めるとどんどん忘れていきます。この作品の醸し出す、一見リアルに見えるのに幻想的で不思議な世界は結構はまる人も多いと思います。こういった幻想的な作品といえばダンテの「神曲」、カフカの「城」、埴谷雄高の「死霊」などが上げられますが、これらのものに共通することは、いろいろ難しく考えずに感性で読んでいけばより楽しめるということです。だからテーマは?ストーリーは?構成は?など余計なことは考えずに、柔らかい布団の寝心地を味わうように無心で楽しんでみて下さい。

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夏目漱石 「我輩は猫である」

言わずと知れた日本の近代文学の最大の貢献者夏目漱石のデビュー作であり代表作です。夏目漱石が文学の世界に入ったきっかけは小説ではなく俳句でした。大学時代に出会った正岡子規の影響で俳句を始めます。しかし文学を本業とするのはかなり後のことで、教職についたり留学したりして人生経験を積みます。夏目漱石の人生を研究するにおいて必ず大きなポイントとなることは、彼が若い頃から神経衰弱気味であったことです。肉親との死別や自らの病気(肺結核)の経験、失恋などが原因であると言われていますが、かなり重症だったようです。そんな彼を見かねた友人の高浜虚子が「ホトトギス」に小説を発表してみないかと勧めます。そうして書かれたのがこの名作というわけです。当初は一回読みきりということでしたが、非常に好評だったので続編が書かれていき、結構なボリュームの長編となりました。この経験が彼を文学の道に歩ませることになり、新たな人生を発見させることになります。いわば高浜虚子は一人の天才を世に送り出した大変な貢献者ということになります。この作品はなんといっても読む人を選ばないユーモアによって孤高の存在となり得ました。江戸時代にもユーモラスな文学はありましたが、明治以降においてここまで本格的にユーモアを支柱にした文学はこれが最初ではないでしょうか?猫の目から冷静に観察した人間の滑稽な社会を皮肉を交えて描くというアイディアは当時としてはとても斬新で、世代はおろか時代までも超越して人を楽しませるものとして名作の名を恣にしています。文体こそ明治の香りが残っており多少読みにくい箇所はあるでしょうが、なにしろ笑えますのであまり気にはならないでしょう。ゆっくり時間をかけて楽しんで下さい。なにせ日本文学史の輝ける金字塔ですから。

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