FC2ブログ

蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

円地文子 「小町変相」

円地文子の文章は個人的に非常に惹かれるものがあります。美しくて品があり、わかりやすくてかつ知性が香っている、とでも表現しましょうか。単に美しいだけだと文章は平面的なものになります。正面から見ると魅了されるけど、ちょっと角度を変えてみると何も見えない、うわべだけの美しさになります。それをぐっと深いものにするのは知性と熱意です。この点においては円地文子はまさにお手本のような人です。とにかく作品で取り上げたテーマに関する徹底した調査、そこに築き上げられた磐石の知識、それがしっかりと根をはっているので、その枝に華麗に咲き誇る花を安心して楽しむことができます。しかもその美しさには知性はあっても難解さはありません。ここが見事なところです。知的な文章はどうしても難解さを伴ってしまうものですが、彼女の場合は読み手にあまり負担をかけません。その上で更に上品さを醸し出しているわけですから、多くの人が魅了されるのも不思議ではありません。”安定した実力”というものを感じさせる作家の中の一人です。この作品はある老齢の女優が小野小町を舞台で演じるまでのいきさつを描いたものです。老齢に到っても日本の美人の代名詞である小野小町を演じることができるか?女優としてのプライドを描く一面で、その脚本を書くことになる人物の、長年に渡るその女優に対する恋愛感情が作品にいかに花開くか、そういったドラマが展開されます。途中、小野小町に関する論文のような箇所があり、円地文子の歴史的、文学的知識の恐ろしいほどの深さをまざまざと見せつけられます。作品という形を装って自らの小野小町論を展開しているかのような印象を受けます。それが作品に深みを持たせている一つの要因だと思います。単なる人間ドラマに終わらない、広くて深い作品です。実に見事です。脱帽のほかありません。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

岡本かの子 「鶴は病みき」

岡本かの子のブレイクのきっかけとなった作品です。大正12年の関東大震災があった頃、岡本かの子は家族とともに鎌倉に避暑のための宿を求めてしばらくそこに滞在します。そこは他の避暑客と棟を分けて共同で住む形式のものでしたが、その相客がなんと芥川龍之介でした。(作品の中での名前は麻川荘之介となっています。)これは実話を元にしています。なんという偶然!当時既に芥川龍之介は時代の寵児ですから、今で言えば自分が滞在した宿の隣の部屋に大江健三郎がいた、みたいな感じでしょうか?当時は日本文学史の中でも次々とスーパースターが誕生していた黄金期ですので、大物作家同士が友人であったり、先輩後輩であったり、師匠と弟子であったりして、お互いがからむ作品というのは多いです。主人公(岡本かの子自身)はこの鎌倉での生活において芥川龍之介とその仲間たちと親しく交わりを持ちます。最初はやはり大物作家ということで敬意を持って仰ぎ見るという感じですが、時間がたつにつれて徐々に芥川龍之介の別の一面、(あるいは本当の姿)を垣間見ることになります。日常のなにげない動きの中に表現されるその人の姿というのは、まさに社会に接する時のための仮面をはずしているわけで、すぐ近くにいてそれを毎日見ているとその人物の真の姿というのが嫌でも見えてくるというのは有り得ることだと思います。人が自分のことをどう言っているのか気になって神経質になる彼、くだらないことにこだわって大騒ぎする彼、相手を論難した後で罪悪感に悩む彼・・・非常に人間くさい生の芥川龍之介が描かれており、興味深い作品となっています。芥川龍之介ファンの人も是非どうぞ。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

北原武夫 「妻」

北原武夫という作家をご存知ですか?もしご存知なくても宇野千代はご存知でしょう?北原武夫は宇野千代の旦那です。宇野千代は他に尾崎士郎や東郷青児など、錚々たる人々と浮名を流していますのでその中で埋もれがちではありますが、1939年に結婚して1964年に別れるまで、結構長い期間二人は夫婦でした。その間に日本で最初のファッション雑誌「スタイル」を創刊します。今や日本にはファッション雑誌は数え切れないくらいに発行されていますが、これが最初なんですね。宇野千代は当時のファッションセンスのリーダーだったわけです。北原武夫は作家業のかたわら、雑誌の仕事も手伝います。ところが業績悪化で倒産しちゃうわけです。負債だけが残り、北原武夫はとにかく作品を書きまくって返済することを義務づけられます。嫌も応もないわけです。それで北原武夫の作品を見ると、後半は通俗作品が多くあまり見るべきものがない印象を受けます。しかしこれは彼にとっても本意ではないわけで、本当はここで紹介するような文学作品を書きたかったのだと思います。もし北原武夫の作品を読むのであれば、昭和30年以前に発表された作品が絶対的にお勧めです。この「妻」は昭和13年の芥川賞の候補作となった作品です。これが彼の文壇デビューのきっかけとなりました。作品の内容としてはありがちな情痴小説であり私小説なんですが、主人公(北原本人)が、前半は最初の妻に対して、後半は宇野千代に対して抱く心境の変化を克明に表現した心理小説でもあります。自分の心理の変化をここまで冷静に分析して書けるというのはなかなかできるものではありません。まるで科学者のように正確に捉えて表現しようという姿勢には敬意を抱かずにはいられません。また、ゴシップ的な要素があることも事実なんで、宇野千代の一面を知る上でも面白い作品ではあります。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

丸岡明 「生きものの記録」

小説という一言で片付けてしまえば実に単純なものに思えますが、この中には非常に多くの種類が含まれます。人間は長い歴史の中でこの小説というものを様々な角度から研究し、新たな形を模索し続けて来ました。現代ではこれといって大きな変革は見られませんが、昭和中期ぐらいまではいろんな作家がこれはどうだ、これはどうだ、と新たなものを世の中にぶつけてきました。その中の一つに心理小説というものがあります。これはフランスに端を発したもので、日本では丸岡明のこの「生きものの記録」はその一例としてよくあげられます。心理小説とは、人間の心理状態を詳細に分析し表現して、登場人物の内面の動きを物語の中心におくというものです。Aという人物にはある確固とした考えがあった。一方でBは違った意見を持っていた。反発しあうAとBだが、やがてAはBの意見に傾倒していく。CはAと同意見だったのにAがBよりになったのでAとCの間に溝ができる・・・一例をあげればこういう心の変化そのものを物語の展開の中で軽く流してしまわないで、深く掘り下げて細かく表現していこうとするものです。心理的な動きを目立たせるために舞台背景の自然や建物、登場人物の容姿・服装、絡んでくる歴史的文化的素材の詳細な説明などは極力省いてあります。いわば極めてシンプルな絵柄の掛軸を見るような、非常に美しい花の一輪挿しを見るような、単純に見えて実はかなりの奥行きがある作品が多いです。この「生きものの記録」は軽井沢が舞台です。避暑に来るようなブルジョア層の人々がひと夏の間に経験する出来事の中で、それぞれがどういう心理的変化をたどるかに注目して読んでいくと非常に楽しめます。やはりどこかフランスの作品を読んでいるような感じがしてきますよ。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

永井荷風 「あめりか物語」

永井荷風の代表作として「ふらんす物語」はよく名前が上がりますが、この「あめりか物語」が同じように評価されないのは個人的に非常に残念に思います。この二作はどちらも非常に優れた短編集です。ただ誤解されがちですが、タイトルからするとアメリカに滞在した間の体験記というふうに連想してしまうと思います。実際に永井荷風は1903年から1907年までアメリカ、その後1908年までフランスに実際に滞在していますのでそう思っても当然だと思いますが、実際には全くの創作の作品もあれば、随筆的なものもあります。つまりアメリカにが舞台ではありますが、作品の形式は統一されてはいません。ですからどれか一つを無作為に読んでも楽しめる一話完結になっています。ちょっと時間があいた時にぱらぱらっと開いて目についたものを読むという楽しみ方ができます。この作品の面白いところは作品を通して明治の頃のアメリカが実によく見えてくることです。政治的、歴史的なとらえ方ではなく一般庶民の日常の生活を見ることができます。これはやはり永井荷風の素養と筆力によって的確にとらえられていることに起因すると思います。同じものを見て体験したことでも、それを文章にする力によってこれほど読者の頭に当時の状況を見せることができるのかと、自分の紀行文と比べてみて本当に驚かされます。そしてその能力によってとらえたものを、随筆だけでなく小説の形にも確実に仕上げていくその力量は、当時まだ若いとはいえやはり大家の底力を感じさせます。それにしても明治という時代に留学させてもらえるなんて、一体どれだけおぼっちゃんだったのかと思ってしまいますね。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

井上友一郎 「残夢」

昭和15年の第11回芥川賞の候補作になった作品です。井上友一郎という作家が目指すところは本格小説であったわけですが、若い頃に書いたこの私小説のジャンルに入る「残夢」が文壇デビューのきっかけとなったということはある意味ちょっと皮肉かもしれません。作家に限らず芸術家全般そうですが、有名になる時にはこういうことはままありますね。そういう点に留意して頂いてこの作品を読んで頂きたいと思うわけです。なぜならこの傑作を読めば、「あぁこの人は優れた私小説作家だ」と思う人が多いだろうと予測できるからです。彼の目指したものはここにはありませんからご注意下さい。ストーリーは私小説ですからほぼ実体験と言っていいと思います。背景は太平洋戦争前、日華事変が起こった頃のあの不穏な空気に包まれた時代です。主人公は既に結婚していましたが、ふとかつて自分の青春に輝かしく光っていた頃があったろうかと疑問に思い、今からでもそれを味わってみたいという衝動にかられ、友人の勧めるダンスホールに通うようになります。これが要するに失敗と堕落と苦労の始まりです。ここで出会った女性に心を奪われますが、彼女は軽薄な典型的小悪魔でした。主人公のことを一途に愛しているように思わせといて、実は軽く考えている。でもやっぱりどこかに真実があるなと思っているとあっさりと違う方向に歩み出している……という感じで、哀れな主人公は振り回されっぱなしです。そのうち奥さんにも見限られて実家に帰られてしまう。そんな情痴に溺れて足を踏み外した情けない男の話です。作品としては構成も表現もそつがなく、きっちり完成された傑作です。読み終わって続きが気になったら、「夢去りぬ」をどうぞ。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

石川淳 「普賢」

えしぇ蔵にとって石川淳の作品との出会いがどれほどショックであったことか、うまく表現する言葉が見つかりません。個人的には横光利一以来のショックでした。流麗巧みな文章表現と完璧な構成はかなりの小説修行を積んだ後に満を持して書かれたもののように、どの角度から検証しても無駄も隙もない完璧なものに思えます。いろんな作家の作品を読んでると、「よし、頑張るぞ!」と励ましてくれるものも多いですが、石川淳の作品はことごとく、「自分にここまでの作品が書けるだろうか?」と、物書きとしての熱意を根本から大きく揺すぶられるようなものばかりです。そしてこの「普賢」は恐ろしいほど秀逸な作品です。昭和11年に芥川賞を受賞していますが、それくらいの評価は当然であり、日本文学史上においてももっと大きく賞賛されるべきものではないかなと思います。主人公はいわば作者の分身で、ジャンヌ・ダルクの伝記を書いた女流詩人クリスティヌ・ピザンの伝記を書こうと机に向かいますが、俗事に捕らわれたり、自分の中での目標を見失ったりしてなかなか先に進みません。そのへんの苦しみを、”知恵”を司る「文殊」と、”修行”を司る「普賢」を喩えにして表現した箇所が、まさに宝石のような輝きを含む名文で、何度も繰り返して読みました。「寒山拾得が文殊普賢の化身ならば、文殊の智慧などおよびもつかぬ下根劣機の身としては寒山の真似をするよりもまず拾得の真似で、風にうそぶき歌う前に箒をかついで地を払う修業こそふさわしかろう。しかし、かりにも拾得の箒を手にした以上、町角の屑を掻きあつめるだけではすまず、文殊の智慧の玉を世話に砕いて地上に撒き散らすことこそ本来の任務で、それなくしてはこの世の荘厳は期しがたく・・・」多少難解な文章ではありますが、繰り返し読むとじわりじわりと作者の言わんとすることが沁みてきます。この「普賢」のような作品が自分の人生で一つでも残すことができれば、物書きとして本望だなと思いました。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

田宮虎彦 「小さな赤い花」

子どもの頃に愛情が不足して育つことは、ある意味栄養の不足よりも深刻な問題かもしれません。世のお父さん方、お母さん方に愛情の不足が子どもの内面の形成にもたらす悲劇というものを知って頂く意味でも是非読んで欲しい作品がこの「小さな赤い花」です。悲しい話ですがこの作品の中で全編にわたって強く訴えられているのは子どもへの愛情の大切さです。これは作者の田宮虎彦自信がその生い立ちで痛烈に感じたことでもあります。この人は父親がどうもあまりいい人ではなかったらしく、愛情を受けなかったどころか、憎しみを受けて育っています。子どもの心ではどうして自分が憎まれるかわかりません。愛されたいのに憎まれるという辛さは大人でも耐え難いものです。ですがこういった成長期における辛い体験は、結局彼の創作における大きなテーマを生むという皮肉に到ります。自分の中にあった悲しみや怒りを形にして世に発表したものがこの作品と言ってもいいと思います。純粋無垢な主人公の少年は無邪気でやんちゃなごく普通の男の子ですが、粗暴な父親に一度も愛されたことがなく、母親と一緒に家を追い出され、母親の実家へと移るところから物語は始まります。少年は父親から離れることができ、母親といつも一緒にいることができるのでむしろ喜びに満ちています。しばらくは優しい母親との幸せな日々が続きますが、やがて母親は病気で亡くなります。そこからは完全に愛情に飢えた生活の始まりです。母親の優しい俤を胸に抱きつつも歩む方向を見失い、過ちを犯したりしながら日々を過ごしますが最後に彼を待っていたのはあまりに悲しい結末でした……。愛情というのは精神の栄養ですね。不足すれば心の病になり死を招くこともあります。人間なんてどんなに強くとも一人で生きていくのは無理ですよね。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

永井龍男 「黒い御飯」

永井龍男は1920年、16歳の頃に「活版屋の話」という作品を文芸誌『サンエス』に投稿し、それが菊池寛の目にとまり文壇への足がかりを得ます。そして創刊直後の「文芸春秋」誌上において、この「黒い御飯」を発表しました。それが19歳の頃です。これには本当に驚かされます。何に驚くかというと、この作品を読んで頂ければ分かります。とてもとても、19歳の作品とは思えません。もう長年小説を書いて飯を食ってきたベテランが、円熟期に代表作の一つとして残しました、と言われても全く不審に思わないような、非常に優れた作品です。どう考えてもまだ社会の厳しさを十分には知らない十代の若者の作品とは思えません。最初からこんな感じですから、作家永井龍男がいかにすごいかということが理解して頂けるのではないかと思います。この作品は自分の貧しかった幼少期の体験を参考に書かれているようです。主人公の少年が小学校に入った春の日の家庭の様子から物語は始まります。少年の家はひどく貧乏で、上の兄二人はろくろく学校も出してもらえず、早くから一家の生計を助ける労働力として日々汗を流しています。主人公の少年が学校に行けるというのは両親や兄たちの苦労のおかげであって、感謝の気持ちを持って必死に勉強しないといけないということを厳しい父親が少年に諭します。少年はそれを聞いて泣きますが、その涙は家族への感謝の涙ではありません。自分が貧乏な環境に生まれついたことへの悔しさからくる涙でした。家族の犠牲の上に少年の幸福があるというプレッシャーは幼い心を圧迫します。そのやるせない心情が実に明確に表現されており、読み手の心理の奥を突いてきます。小説とは人の心を表現するものだということをストレートに教えてくれるような作品です。読後にしみじみとなにかが残る名作です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

田村泰次郎 「肉体の門」

田村泰次郎と言えば「肉体の門」と言われるほど彼の代表作とされる作品で、これまで何度も何度も映画化されてきました。この作品を映像化するとどうしても娼婦たちの裸体のシーンが多いのでポルノ映画のようになってしまうわけでして、ある意味そのへんをエサにしようという映画製作者側の下心も多少はあるのではないかと勘繰ってしまいますが、この作品のすごいところは田村泰次郎の発したいメッセージが思い切り盛り込まれているということなので、そのへんを理解しつつ作品を読むなり映画を見るなりして欲しいなと思うわけです。では彼が何を言わんとしているのか?それは彼のエッセイの中の一文を読んで頂ければすぐにわかります。「私は肉体の生理こそ、最も強烈にして唯一の人間的営為であることを骨身に徹して知った。人間のどんな考えも、肉体を基盤にしなければ頼りにならないものである。私は肉体から出たものではない一切の思想を、一切の考え方を絶対に信じない」ということなんですがお分かり頂けますでしょうか?いかなる思想もその前には肉体というものがある、人間の生理というものがある、ということを訴えたいわけですね。この「肉体の門」のストーリーはそれを分かりやすく物語りにしたと言ってもいいかと思います。戦後の荒廃した東京で、生きるための最後の手段を使ってたくましく生きる娼婦の群れに、ある日一人の荒くれ男が紛れ込みます。彼はやがて彼女らの頭目的立場になりますが、彼女たちはそれぞれ密かに彼を自分のものにしたいと思いつつ、彼女らの掟に縛られてそれを成しえません。そしてついに一人がその禁を破ったために、みんなでリンチにかけます……彼女らの中では野生が全てに先行し、肉体が主役となっています。理想も思想もありません。戦後の一時期に日本で見られたこういう光景は実は人間が思想という衣裳を脱ぎ捨てて原点に帰った時の姿とも言えます。そこを彼は表現したかったのだと思います。メッセージ性の非常に強い名作です。人間として、一度読んでおくべきものだと思います。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

 | HOME |  »

FC2Ad

カテゴリー

ブログ内検索

最近の記事

最新コメント

リンク

このブログをリンクに追加する