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蔵書

福岡ESEグルメのえしぇ蔵による、日本文学の書評ブログ・・・もどきの読書感想文ブログです。

武田泰淳 「ひかりごけ」

ちょっと重いテーマの小説です。覚悟はいいでしょうか?この作品はですね、カニバリズムがテーマです。つまり「食人」ですね。飢餓の極限状態に置かれて、ついに許されざる一線を越え、人を食べてしまったといういきさつを描いた問題作です。1944年に北海道で実際に起こった事件をモチーフにしています。日本陸軍が徴用した船が知床岬で難破します。極寒でかつ食糧もない最悪の状態に置かれ船員は死んでいきますが、その死んだ船員の人肉を船長が食べたことが後で発覚し裁判になります。「食人」で人が裁かれるのは初めてで適用する法がないので、死体損壊ということで懲役1年の実刑となっています。武田泰淳がこの事件をモデルにしたので、事件の名前自体「ひかりごけ事件」と言われています。ここで注意して欲しいのは、この作品は実際にあった事件の記録ではなくあくまでそれをモチーフにした架空の話であるということです。内容をそのまま事実と認識しないようにくれぐれもご注意下さい。前半の部分がいかにも作者が現地で事件を調査したというドキュメンタリー風に描かれているので、非常に誤解されやすいですがあくまで創作です。作品の後半は2幕に別れた脚本になっています。1幕目は事件の現場です。船員たちと船長の会話がリアルで、極限状態の緊張感が伝わってきます。2幕目は船長が裁かれる法廷です。船長と検事の会話の中にこの作品の真のメッセージが込められています。人間が極限状態において犯したくない罪を犯してしまった時、一体誰がそれを裁きうるのか?少なくともその状態を知らない同じ人間にはその権利はないのかもしれません。重いですが是非読んで頂きたい問題作です。

テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

梅崎春生 「桜島」

梅崎春生は椎名麟三や野間宏らとともに第一次戦後派作家と呼ばれています。戦争中は文化的なものも抑圧されていたわけで、敗戦とともに開放された時は様々な文化の花が争って開き始めます。もちろん文学も大いに羽ばたいたわけで、多くの作家が己のスタイルで登場し活躍します。その中でも梅崎春生は戦後すぐに書いたこの作品で注目を集めます。昭和20年の敗色濃厚な中で主人公が見た軍隊の様子を描いています。主人公が桜島に転勤になるのが7月はじめです。終戦は8月15日ですから既に日本の行く末を不安に感じる雰囲気が全体にあるわけです。既に沖縄が占領され、さぁ次は本土上陸だと緊張している時期です。米軍の上陸がどこから始まるかが一番の問題でした。鹿児島からではないか?宮崎の日南か?いや、千葉から一気に東京かも?あらゆるパターンを想定して上陸に備えていました。そんな中で主人公は鹿児島の桜島に暗号解読の担当として赴任します。そこでいろんな人間の生態を目撃します。部下を虐待する兵曹長、交友を結んだが米軍機の機銃掃射で死ぬ見張兵、特攻隊の兵士の荒んだ様子、望遠鏡で見た自殺しようとしている老人……全体にやるせなさというか、どこか悲しく怠惰な空気が流れており、終戦前の日本の様子が非常にうまく表現されています。作者は実際に終戦間際は鹿児島に赴任していたので、その時の体験が生かされているようです。主人公は何も希望を感じさせない社会の中で、自分が何のために生きているのかがわからなくなります。これが「宿命」だと言われてもそこにどうしても納得がいかないという懊悩を描いており、ただの戦記ものとは一味違う奥の深い作品になっています。

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森村誠一 「ミッドウェイ」

歴史好きでなくとも、ミリタリーおたくでなくとも、ミッドウェイという場所で起きた戦闘が太平洋戦争における大きな転換点となったことをご存じの方は多いと思います。非常に劇的な展開となり、アメリカにとっては勝利への転換点、日本にとっては敗北への転換点となりました。意味深くドラマティックなこの戦いをテーマにした作品は数限りなく世に出ました。ドキュメンタリーもかなりの数に上ります。そんな中でひときわ存在感を放つのが、澤地久枝の「蒼海よ眠れ」と森村誠一の「ミッドウェイ」ではないかと個人的に思っています。澤地久枝の場合はドキュメンタリーですが、森村誠一の場合は小説です。でもストーリーを含んではいますが、ミッドウェイ海戦に至る日米両国の政治・軍事的な展開、軍人たちの訓練の様子、庶民の生活の様子など徹底的に調べている点ではもはやドキュメンタリーの域に入っています。特筆すべきは日本海軍の士官候補生を育てた江田島の海軍兵学校の様子です。入学した主人公の目を通してかなり詳細に描かれており、非常に興味深いものがあります。一方でドラマという面でも優れていることは、読み始めるとなかなか止められないことでも証明されています。この作品は日米どちらかに偏った視点では描かれていません。面白いことに日本側とアメリカ側で2人主人公がいます。それぞれが海軍のパイロットとして交替で登場し物語が進んでいきますが、徐々にその距離が縮まり、ついにミッドウェイの海の上で対戦するという展開となります。果たして2人の対決はどうなるのか?この2人は運命のいたずらで同じ女性を愛することになりますが、それが作品に色を添えています。ドキュメンタリーとしても、ドラマとしても傑作といえます。大作でかなり長いですがそれを感じさせない面白さです。森村誠一の力量を見せつけられます。若者の夢も愛も奪う戦争の悲劇をリアルに描いたドラマとして読んでおくべき傑作ではないかと思います。

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壷井栄 「暦」

名作「二十四の瞳」で小豆島を有名にした壷井栄ですが、出身地も小豆島で、あの牧歌的に描かれた自然と人はそのまま壷井栄自身が育った環境でもあります。一家はなんと11人兄妹!今の日本ではそれだけでニュースネタになりそうですが、昔の田舎における日本の家族ってこんな感じですよね。家業は醤油樽の製造で、弟子や職人を抱えて一時期は結構羽振りもよかったようですが、お得意さんの醤油醸造元がつぶれて以来、そのあおりを食って家産は傾いていきます。家も土地も手放して最後は借家に移り、成長した子どもらが働いて家計を助けるというところまでいきました。彼女も郵便局や村役場で働いています。様々な苦労を経験した後、彼女は夢を抱いて上京します。そして壷井繁治との結婚を機に運命が花開いていきます……。この作品はそんな彼女の人生経験を基にして書かれた作品です。創作ではありますが、一家の生活の様子は彼女の記憶をたどって、ほぼそのまま描かれたような印象を受けます。ストーリーとしては、かつての幸せが過去のものとなり、次第に細くなっていく家運の中、最後に残った二人の姉妹が踏みとどまって頑張って生きている姿を描いています。そして成長してそれぞれの道を歩んで離れて行った兄妹を呼び集め、祖母の十七年忌、父の三年忌の法事をするシーンがクライマックスとなっています。壷井栄の作品の底流に流れているのはいつでも”愛”です。それは実に大きくて温かいものです。この作品で描かれているのは単に一家族の盛衰ではなく、その離れがたい強い結びつきの上で続いていく日々の暮らしです。要するに日本にかつてあった大きく温かい家族の暦なわけです。読んでいくと悲しいシーンも多いですが、でもどこか優しく心温まる感じが最後に残るところはまさに壷井栄ワールドだなと思います。

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野間宏 「真空地帯」

全体小説という手法を以って、社会全体に対して正面からドカンとぶつかっていくのが野間宏です。社会が抱える問題、特にその中における弱者の立場になって、大きな敵に対して敢然と立ち向かう姿は、作家の在り方の一つの見本を見るようで非常に参考になります。基本的に”弱者の味方”的な考えを貫く人ですが、そんな彼でも戦争中は兵隊に行かなければならないわけです。あの非人間的にしか扱われない集団の中で、彼が強い反感を持たないわけがありません。しかも一時期は社会主義運動をした過去のことを追及され、半年も大阪陸軍刑務所に服役させられます。おそらく想像を絶するひどい扱いを受けたことでしょう。その怒りもあってか、戦後発表されたこの作品では軍隊の中の非人間的な日常を赤裸々に描いて強くその異常性を訴えています。物語の舞台は軍の兵営の中です。いわゆる軍事基地ですね。そこでは兵隊の訓練を中心に、厳しい規律に縛られた日々が送られています。兵士にはたまに生き抜きの時間が与えられ、基地の外への外出が許されますが、主人公はそれができません。なぜなら彼はかつて軍の中で窃盗を働いた罪でしばらく軍の刑務所に服役し、出所して原隊復帰した身だからです。彼は刑務所帰りであることを隠しつつ、自分を軍事裁判へ送った憎き上官の消息を探ります。彼の中では復讐の炎が燃えさかります。やがてはその上官と再会することができ、いざ復讐の鉄拳を下ろそうとしたその時、彼は上官に窃盗事件の始末の驚くべき真相を聞かされます……。この作品は長いですけど緊張感が続くせいか、サスペンスタッチのストーリー展開のせいか、読み始めると止まりません。軍隊生活の様子や刑務所での過酷な扱いは野間宏の経験が生かされて非常にリアルに描かれています。軍隊の非人間性を訴えつつ、ストーリーの面白さも追求しているという、あまりないタイプの傑作です。

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円地文子 「小町変相」

円地文子の文章は個人的に非常に惹かれるものがあります。美しくて品があり、わかりやすくてかつ知性が香っている、とでも表現しましょうか。単に美しいだけだと文章は平面的なものになります。正面から見ると魅了されるけど、ちょっと角度を変えてみると何も見えない、うわべだけの美しさになります。それをぐっと深いものにするのは知性と熱意です。この点においては円地文子はまさにお手本のような人です。とにかく作品で取り上げたテーマに関する徹底した調査、そこに築き上げられた磐石の知識、それがしっかりと根をはっているので、その枝に華麗に咲き誇る花を安心して楽しむことができます。しかもその美しさには知性はあっても難解さはありません。ここが見事なところです。知的な文章はどうしても難解さを伴ってしまうものですが、彼女の場合は読み手にあまり負担をかけません。その上で更に上品さを醸し出しているわけですから、多くの人が魅了されるのも不思議ではありません。”安定した実力”というものを感じさせる作家の中の一人です。この作品はある老齢の女優が小野小町を舞台で演じるまでのいきさつを描いたものです。老齢に到っても日本の美人の代名詞である小野小町を演じることができるか?女優としてのプライドを描く一面で、その脚本を書くことになる人物の、長年に渡るその女優に対する恋愛感情が作品にいかに花開くか、そういったドラマが展開されます。途中、小野小町に関する論文のような箇所があり、円地文子の歴史的、文学的知識の恐ろしいほどの深さをまざまざと見せつけられます。作品という形を装って自らの小野小町論を展開しているかのような印象を受けます。それが作品に深みを持たせている一つの要因だと思います。単なる人間ドラマに終わらない、広くて深い作品です。実に見事です。脱帽のほかありません。

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岡本かの子 「鶴は病みき」

岡本かの子のブレイクのきっかけとなった作品です。大正12年の関東大震災があった頃、岡本かの子は家族とともに鎌倉に避暑のための宿を求めてしばらくそこに滞在します。そこは他の避暑客と棟を分けて共同で住む形式のものでしたが、その相客がなんと芥川龍之介でした。(作品の中での名前は麻川荘之介となっています。)これは実話を元にしています。なんという偶然!当時既に芥川龍之介は時代の寵児ですから、今で言えば自分が滞在した宿の隣の部屋に大江健三郎がいた、みたいな感じでしょうか?当時は日本文学史の中でも次々とスーパースターが誕生していた黄金期ですので、大物作家同士が友人であったり、先輩後輩であったり、師匠と弟子であったりして、お互いがからむ作品というのは多いです。主人公(岡本かの子自身)はこの鎌倉での生活において芥川龍之介とその仲間たちと親しく交わりを持ちます。最初はやはり大物作家ということで敬意を持って仰ぎ見るという感じですが、時間がたつにつれて徐々に芥川龍之介の別の一面、(あるいは本当の姿)を垣間見ることになります。日常のなにげない動きの中に表現されるその人の姿というのは、まさに社会に接する時のための仮面をはずしているわけで、すぐ近くにいてそれを毎日見ているとその人物の真の姿というのが嫌でも見えてくるというのは有り得ることだと思います。人が自分のことをどう言っているのか気になって神経質になる彼、くだらないことにこだわって大騒ぎする彼、相手を論難した後で罪悪感に悩む彼・・・非常に人間くさい生の芥川龍之介が描かれており、興味深い作品となっています。芥川龍之介ファンの人も是非どうぞ。

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北原武夫 「妻」

北原武夫という作家をご存知ですか?もしご存知なくても宇野千代はご存知でしょう?北原武夫は宇野千代の旦那です。宇野千代は他に尾崎士郎や東郷青児など、錚々たる人々と浮名を流していますのでその中で埋もれがちではありますが、1939年に結婚して1964年に別れるまで、結構長い期間二人は夫婦でした。その間に日本で最初のファッション雑誌「スタイル」を創刊します。今や日本にはファッション雑誌は数え切れないくらいに発行されていますが、これが最初なんですね。宇野千代は当時のファッションセンスのリーダーだったわけです。北原武夫は作家業のかたわら、雑誌の仕事も手伝います。ところが業績悪化で倒産しちゃうわけです。負債だけが残り、北原武夫はとにかく作品を書きまくって返済することを義務づけられます。嫌も応もないわけです。それで北原武夫の作品を見ると、後半は通俗作品が多くあまり見るべきものがない印象を受けます。しかしこれは彼にとっても本意ではないわけで、本当はここで紹介するような文学作品を書きたかったのだと思います。もし北原武夫の作品を読むのであれば、昭和30年以前に発表された作品が絶対的にお勧めです。この「妻」は昭和13年の芥川賞の候補作となった作品です。これが彼の文壇デビューのきっかけとなりました。作品の内容としてはありがちな情痴小説であり私小説なんですが、主人公(北原本人)が、前半は最初の妻に対して、後半は宇野千代に対して抱く心境の変化を克明に表現した心理小説でもあります。自分の心理の変化をここまで冷静に分析して書けるというのはなかなかできるものではありません。まるで科学者のように正確に捉えて表現しようという姿勢には敬意を抱かずにはいられません。また、ゴシップ的な要素があることも事実なんで、宇野千代の一面を知る上でも面白い作品ではあります。

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丸岡明 「生きものの記録」

小説という一言で片付けてしまえば実に単純なものに思えますが、この中には非常に多くの種類が含まれます。人間は長い歴史の中でこの小説というものを様々な角度から研究し、新たな形を模索し続けて来ました。現代ではこれといって大きな変革は見られませんが、昭和中期ぐらいまではいろんな作家がこれはどうだ、これはどうだ、と新たなものを世の中にぶつけてきました。その中の一つに心理小説というものがあります。これはフランスに端を発したもので、日本では丸岡明のこの「生きものの記録」はその一例としてよくあげられます。心理小説とは、人間の心理状態を詳細に分析し表現して、登場人物の内面の動きを物語の中心におくというものです。Aという人物にはある確固とした考えがあった。一方でBは違った意見を持っていた。反発しあうAとBだが、やがてAはBの意見に傾倒していく。CはAと同意見だったのにAがBよりになったのでAとCの間に溝ができる・・・一例をあげればこういう心の変化そのものを物語の展開の中で軽く流してしまわないで、深く掘り下げて細かく表現していこうとするものです。心理的な動きを目立たせるために舞台背景の自然や建物、登場人物の容姿・服装、絡んでくる歴史的文化的素材の詳細な説明などは極力省いてあります。いわば極めてシンプルな絵柄の掛軸を見るような、非常に美しい花の一輪挿しを見るような、単純に見えて実はかなりの奥行きがある作品が多いです。この「生きものの記録」は軽井沢が舞台です。避暑に来るようなブルジョア層の人々がひと夏の間に経験する出来事の中で、それぞれがどういう心理的変化をたどるかに注目して読んでいくと非常に楽しめます。やはりどこかフランスの作品を読んでいるような感じがしてきますよ。

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永井荷風 「あめりか物語」

永井荷風の代表作として「ふらんす物語」はよく名前が上がりますが、この「あめりか物語」が同じように評価されないのは個人的に非常に残念に思います。この二作はどちらも非常に優れた短編集です。ただ誤解されがちですが、タイトルからするとアメリカに滞在した間の体験記というふうに連想してしまうと思います。実際に永井荷風は1903年から1907年までアメリカ、その後1908年までフランスに実際に滞在していますのでそう思っても当然だと思いますが、実際には全くの創作の作品もあれば、随筆的なものもあります。つまりアメリカにが舞台ではありますが、作品の形式は統一されてはいません。ですからどれか一つを無作為に読んでも楽しめる一話完結になっています。ちょっと時間があいた時にぱらぱらっと開いて目についたものを読むという楽しみ方ができます。この作品の面白いところは作品を通して明治の頃のアメリカが実によく見えてくることです。政治的、歴史的なとらえ方ではなく一般庶民の日常の生活を見ることができます。これはやはり永井荷風の素養と筆力によって的確にとらえられていることに起因すると思います。同じものを見て体験したことでも、それを文章にする力によってこれほど読者の頭に当時の状況を見せることができるのかと、自分の紀行文と比べてみて本当に驚かされます。そしてその能力によってとらえたものを、随筆だけでなく小説の形にも確実に仕上げていくその力量は、当時まだ若いとはいえやはり大家の底力を感じさせます。それにしても明治という時代に留学させてもらえるなんて、一体どれだけおぼっちゃんだったのかと思ってしまいますね。

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