横光利一 「ナポレオンと田虫」
ナポレオンと聞くと皆さんの頭の中にはどんな肖像が浮かびますか?おそらくジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた「ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」ではないかと思います。あの前足を上げた馬に乗るナポレオンが山の方を指さしてる絵ですね。では次に浮かぶのはどんな絵でしょうか?これも多くの方が同意見だと思いますが、えしぇ蔵はナポレオンが右手をお腹の位置で上着の中に入れている姿が浮かびます。ナポレオンがそのしぐさをしている絵はたくさん残されており、なぜそういうポーズで肖像画を描かせたのかという「ナポレオンの右手の謎」は未だに解明されていません。諸説ある中で面白いのはナポレオンが皮膚病を患っており、お腹の患部を掻いているうちにそのポーズが癖になったというものです。この説をもとにして書かれた作品がこの「ナポレオンと田虫」です。ナポレオンは実はお腹に田虫ができていて、彼がヨーロッパにその勢力図を広げるのと同じように、田虫は彼のお腹の上で患部という勢力図を広げていくというユニークな話です。ヨーロッパの国々を次々に征服していく無敵のナポレオンが唯一勝てないのが自分の田虫でした。夜になると活動を開始する田虫の痒さは彼に睡眠をとらせません。果たしてナポレオンの全ヨーロッパ征服が先か?田虫のナポレオン征服が先か?横光利一の魅力は高度に芸術的作品で唸らせることもあれば、こうして面白い作品で楽しませることもあるという稀有な二面性です。この両立ができる作家は無敵と言っていいと思います。さて、ナポレオンは田虫に勝てるのか?終り方は非常に文学的です。是非読んでみて下さい。
川端康成 「古都」
日本の美を小説で表現するとなると谷崎潤一郎か川端康成ではないかと個人的には思っています。だから日本という国の自然、文化、人間を静かに描いた文学小説が読みたくなると、この二人の作品を本棚から取り出して読み返したりしています。中でもこの「古都」においては大好きな京都が舞台ですし、物語が進行する一年を通して様々な行事が描かれいるので特にお気に入りです。京都の老舗の呉服商の娘千重子は両親から愛情いっぱいに育てられましたが、それは自分が捨て子だったからと思い、ひそかに悩み続けます。そしてある日、友人と北山杉を見に行った際に、自分そっくりの娘を見ます。後日、祇園祭の夜に八坂神社でその娘と偶然対面します。娘は苗子という名前で、千重子のことを生き別れになってずっと探していた双子の姉だと確信します。千重子は老舗呉服商の娘である一方、苗子は北山で働く村娘。運命は双子を身分違いにしていました。苗子が常に千重子のことをお嬢さんと呼ぶのが痛々しいです。この二人を中心に、千重子に想いを寄せる西陣織の職人の秀男が間違えて苗子に帯を織らせて欲しいともちかけたり、苗子によって千重子は今は亡き実の両親のことを知ったり、千重子の家の呉服商が経営難に苦しんだりといろんな展開が交差して物語は進んでいきます。京都の名所がいくつも登場すること、いろんなシーンの拝啓で季節の行事が行われていることなど、京都好きの人だと更に楽しめる要素もあります。静かに美しく綴られる古き都のせつない物語。川端康成ワールドに浸りたい時にはオススメの作品です。映画化も何度かされていますが、子どもの頃に山口百恵が一人二役で演じていたのを見た記憶があります。ちなみに川端康成は京都の酒蔵「佐々木酒造」のお気に入りの日本酒「古都」の文字を揮毫したそうです。「古都」を飲みながら「古都」を読むのもいいかもしれませんね。
太宰治 「津軽」
明治以降の日本文学において、巨人である夏目漱石を除いて現代でも人気を二分するのは、三島由紀夫と太宰治ではないかと個人的には考えています。三島由紀夫には男性ファン、太宰治には女性ファンが多いような気もします。太宰治においては非常にコアなファンが多く、その人たちの間ではしばしば最高傑作はどれか?ということが話題になります。太宰治を深く読み込んできたいわゆる通の人の多くが選ぶのが、この「津軽」なんです。意外に思われる方も多いと思います。なぜならこれは小説ではないからです。たくさんある小説の傑作を差し置いて、随筆というか寄稿文というか、ちょっとした旅行記と言った方がいいこの作品がこれだけファンの心をとらえるのはなぜなんでしょう?その理由が知りたくて実に30年ぶりぐらいに再読しました。この作品は太宰治が昔の知人を訪ねて旧交を温めるエピソードを交えながら、故郷の津軽の自然や文化、人の気質、歴史などを気ままに綴った作品です。それが多くのファンの心を鷲掴みにする理由は、えしぇ蔵の個人的な意見ですが、文章を通して太宰治の人柄が見えるからではないかと思います。ファンの人は彼がどういう人だったのか知りたいわけです。それにはこの作品は非常に大きな手掛かりになり得ます。津軽への愛情、交わる人々への優しい思い、自分に対して抱く嫌悪感、迷惑をかけた家族に対する罪悪感などがストレートに表現されているので、どういう心境で旅をしているのかがよくわかります。あぁこういうこと考えながら津軽を歩いたんだなと思うとファンにとってはたまりません(彼の弱さに女性が母性本能をくすぐられるのがこの作品でよくわかります)。それがこの作品の人気の理由ではないかと思います。太宰治がどんな人だったのか、知りたいという方には絶対オススメの作品です。通が選ぶ最高傑作。未読の方は是非どうぞ。
高田郁 「あきない世傳 金と銀」
高田郁といえば大傑作「みをつくし料理帖」が連想されると思います。これは本当に大傑作でした。ドラマ性の高いストーリー、完璧なプロット、個性あふれるキャラクター、詳細に調べあげた江戸時代の庶民の暮らし、そして思わず試してみたくなる料理の数々。ここまでの作品を書いてしまったからには、もうこれを超えるものは出ないのではないか?と勝手に思ってしまいました。それほど優れた作品でした。だからこの 「あきない世傳 金と銀」を読む前には正直そこまで期待していませんでした。それがどうでしょう。読み始めてすぐに「これはもしかすると」と思いました。「みをつくし料理帖」は全10巻で、この 「あきない世傳 金と銀」は全13巻とさらに長くなっていますが、1巻が終わるまでにすっかり虜になっていました。2巻、3巻と夢中で読み進みました。本当に読者を飽きさせないテクニックが素晴らしいのです。スートーリーに緩急をつけて、いいことがあれば悪いこと、悲しいことがあれば嬉しいこと、ハラハラさせたり、ホッとさせたり、表現はまずいですがまさに”手玉”にとられます。今回は呉服を扱う大阪の小さなお店「五鈴屋」が、主人公の幸の知恵と努力、周囲の協力によってどんどん成長していき、数々の苦難を乗り越えて大店に成長するという物語です。幸のアイディアは今では当たり前のことばかりですが、おそらく江戸時代にこんな感じで誰かが思いついて始まったんだろうなと思います。幸は江戸時代中期の名古屋の「いとう呉服店」の十代目当主の宇多さんをモデルにしているそうです。遠い江戸時代に様々な商いをした人々の努力があって、現代の日本経済があるんだなとしみじみ感じました。学ぶことも多い大傑作です。「みをつくし料理帖」だけでなく是非この作品も読んでみて下さい。
国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
国木田独法の代表作をあげる際にには必ず紹介されるほどの有名な作品です。皆さんはこの作品のタイトルをどう読みますか?えしぇ蔵は国木田独歩の作品と出会って数十年を経過していますが、ずっと「ぎゅうにくとばれいしょ」と読んでいました。正解は、「ぎゅうにくとじゃがいも」なんです。これ知らない人多いようです。えしぇ蔵もかなり後になって知りました。国木田独歩という作家を知ったのは大学の頃でしたが、自分なりにこの人の作品はすごいと感じて、就職活動の面接の際に好きな作家を聞かれたら国木田独歩と答えていました。でも初老に達した現在、改めて作品を読んでみると若い頃には作品の本当の凄さを全然わかってなかったなと思います。それなのに好きな作家にあげるなどと思い上がったことしてたなと反省しました。この作品は血気盛んな若者が数人集まって、酒を飲みながら意見を交わすだけの内容ですが、そこには哲学が展開されていてとてつもなく奥の深い談義が描かれています。明治の頃の北海道のような非常に厳しい環境に敢えて挑んで、馬鈴薯でも食べつつ土地を開拓して新天地を築いていくという大いなる理想を「馬鈴薯」と表現しています。一方で何不自由のない都会の生活に浸りながら牛肉でも食べつつ生きていくという平凡な現実を「牛肉」と表現しています。さてどちらを食べるべき(どちらの生き方をとるべき)か?という論議をしているところに岡本という男が、自分は牛肉派だろうが馬鈴薯派だろうが関係ない。ただ吃驚したいと主張します。他の人は面食らいます。さて、岡本の言わんとする真意は何なのでしょうか?読み終わった後に考え込んでしまうような非常に深い作品です。国木田独歩の凄さを知るには最適な作品かもしれません。今ひとつつかめない場合は繰り返し読んでみるのもいいかもしれません。
澤地久枝 「滄海よ眠れ」
太平洋戦争においてそれまで連戦連勝だった日本が劣勢になる転機となったのが、昭和17年6月5日(日本時間)のミッドウェー海戦です。この海戦は主力中の主力であった空母4隻を一気に失うという大敗北でしたから、当時大本営は国民にショックを与えないようにひた隠しに隠しました。その影響か、戦後になってもこの戦いに関しての詳細な経過などが今一つはっきりしないままになっていました。その謎の部分を明らかにすべく、深く入り込んで行ったのが澤地久枝です。日米双方の立場に立って綿密に調べ上げ、その結果をまとめ上げてこの作品が生まれました。その情報の量と細かさには本当に驚嘆させられます。この戦いにおける日本側及びアメリカ側の死者全ての名前を調査の段階で特定したというのですから、その労苦は想像を絶するものがあります。この作品のようなドキュメンタリーにおいては、既に明らかになっている事実を整理して並べるだけでは存在意義がありません。後にこの件に関して調べる人にとってプラスになるように、そこに何か新しい発見を加えなければいけません。この作品はそれが非常に大きなものであって、それまでのミッドウェー海戦に関する解釈を大きく揺さぶるものでしたので、資料としての価値は大変なものです。それに女性の立場で書かれたせいか、日米どちらにも肩入れしておらず、公正な目で冷静に分析してあることも大きな特徴です。より真実に近づき、それを多くの人に知ってもらうことで戦争の悲惨さを伝え、平和の価値を訴える澤地久枝の姿勢には本当に脱帽です。皆さんも是非読んでみて下さい。そして平和について考えてみて下さい。
永井荷風 「あめりか物語」
永井荷風の代表作として「ふらんす物語」はよく名前が上がりますが、この「あめりか物語」が同じように評価されないのは個人的に非常に残念に思います。この二作はどちらも非常に優れた短編集です。ただ誤解されがちですが、タイトルからするとアメリカに滞在した間の体験記というふうに連想してしまうと思います。実際に永井荷風は1903年から1907年までアメリカ、その後1908年までフランスに実際に滞在していますのでそう思っても当然だと思いますが、実際には全くの創作の作品もあれば、随筆的なものもあります。つまりアメリカにが舞台ではありますが、作品の形式は統一されてはいません。ですからどれか一つを無作為に読んでも楽しめる一話完結になっています。ちょっと時間があいた時にぱらぱらっと開いて目についたものを読むという楽しみ方ができます。この作品の面白いところは作品を通して明治の頃のアメリカが実によく見えてくることです。政治的、歴史的なとらえ方ではなく一般庶民の日常の生活を見ることができます。これはやはり永井荷風の素養と筆力によって的確にとらえられていることに起因すると思います。同じものを見て体験したことでも、それを文章にする力によってこれほど読者の頭に当時の状況を見せることができるのかと、自分の紀行文と比べてみて本当に驚かされます。そしてその能力によってとらえたものを、随筆だけでなく小説の形にも確実に仕上げていくその力量は、当時まだ若いとはいえやはり大家の底力を感じさせます。それにしても明治という時代に留学させてもらえるなんて、一体どれだけおぼっちゃんだったのかと思ってしまいますね。
北方謙三 「岳飛伝」
「水滸伝」に始まり「楊令伝」と続いて、壮大な三部作の最後を飾るのがこの「岳飛伝」です。全部合わせると51巻にもなるという超大作です。読み終わるのに実に9ヵ月。えしぇ蔵の本棚の隙間を一気に埋めてしまいました。それにしても作者には本当に脱帽です。岳飛は実在した人物ですが、物語自体は半部以上創作です。つまりはほとんど架空のものなのですが、膨大な数の登場人物とそれぞれの人生、人間関係、次々に起こる事件、戦、過去のしがらみ、時代と背景の変化などを見事に整然と矛盾なく組み立てていく創作力は、日本の作家の中でも随一と言っても過言ではない気がします。有名な作家でも1冊の本の中に一つぐらい矛盾を見つけることは時々ありますが、この三部作ではえしぇ蔵は見つけることはできませんでした。物語は「楊令伝」において頭角を現した岳飛が中心人物となって展開します。北から攻め寄せて来た金軍、物流によって新たな国の形を模索する梁山泊、国土を取り返そうとする南宗の三つ巴の戦いが続く中、東南アジアの方に新天地を開拓するもの、貿易を通して日本とのつながりを深くしていくもの、西にある西夏、西陵において新たな生きがいを見出すもの、台頭する蒙古と接触するものなど、物語は四方八方に広がりを見せて、時代的だけでなくエリア的にも壮大になっていきます。誰が善で誰が悪というわけではなく、それぞれが自分の人生を追い求め、生きがいを見出し、夢に向かって走る。その膨大な集合体が歴史を形作っていくということを作品から学びました。後半に登場する鸚鵡の口癖「やるだけやって死ぬ」という言葉が個人的に非常に刺さるものがありました。結果はどうなるかわからない。でも一度この世に生を受けたならやるだけやって死ぬ。つまりはそういうことなんだなと気付かされました。本当に学ぶことが多い大作でした。作者に感謝したいです。
吉村昭 「零式戦闘機」
いろんな国の民族性と比較して、日本人というのは本当に真面目だなと思うことがよくあります。どんな分野においても、何を成し遂げるにおいても、次々に立ちふさがる困難をみんなで知恵を出し合って努力に努力を重ねて、そして最終的にはそれらをクリアして大きな結果を得る。こういうパターンはよく見られますよね。特に高度経済成長期の産業界において多かったと思います。そういう民族的な特徴というのはおそらくかなり昔から引き継がれてきたのではないかと思います。長い日本の歴史においてそれが顕著に表れた時期は昭和初期の日中戦争から太平洋戦争までの時期ではないかと思います。例えばこの本のタイトルである零式戦闘機を生み出す過程においては日本人の底力が発揮された典型的な例ではないかと思います。日本が外国に頼らず完全に自国内の技術によって軍用機を製作したのは昭和11年の九十六式艦上戦闘機が最初でした。世界の航空業界にデビューしたその新人がいきなりトップクラスの性能を発揮します。そこまでに至る技術者たちの苦労は並大抵のものではありませんでした。ところが海軍は更に高性能なものを作ることを要求します。そこから更なる苦難の過程を経て生まれるのが零式戦闘機です。上から無茶を言ってくる、それをみんなで助け合ってクリアする、するともっと難しい無茶を言ってくる、それをなんとかクリアする、この繰り替えしによって日本の航空技術は短期間に飛躍的に成長しました。この作品は明治四十三年に外国の飛行機を軍が初飛行させてから九十六式艦上戦闘機、零式戦闘機の誕生、そして帝国陸海軍の命運とともに零式戦闘機が歴史から姿を消していくまでの詳細な過程が描かれています。しみじみ日本人の真面目さ、ひたむきさを感じる内容です。ここでは戦争という忌避すべき方面においてそれが生かされることになりましたが、日本人の根底にあるこの長所は別の面に置いてこの先の未来も引き継いでいくべきだと強く思います。
山岡荘八 「徳川家康」
この作品を初めて見たのは学生の頃に親戚の家に遊びに行った時でした。本棚に同じ装丁の文庫本がずらりと並んだ姿は圧巻で、書く方はもちろんすごいが読む方もすごいなと驚いたのを覚えています。この作品、講談社の山岡荘八歴史文庫で全26巻です。しかも1冊の量も400~500ページとかなりの厚さです。原稿用紙にしてなんと17,400枚。世界最長の歴史小説と言われています。本棚に並べば壮観です。自分にはこんな長いものはとても読めないと思っていましたが、歴史小説でしかも戦国時代をテーマにしていると読めていくものです。しかも山岡荘八の腕にかかれば徳川家康の全生涯がよりドラマティックに描かれており、読みだすと止まらなくなるほどです。歴史小説が好きな人の多くは戦国時代か明治維新の頃が特に面白いと言います。つまり世の中が混乱していた時代ですね。戦国時代は応仁の乱をその始まりとすれば、江戸幕府の成立で平和がもたらされるまで136年も続きました。その間ずっと日本中で戦に次ぐ戦です。各地で力を持った武将が覇を競い、徐々により強大な力のもとに収束されていきます。いわばその最後の勝者が徳川家康です。その75年の生涯をたどっていくことが、戦国時代の半分以上をたどることになるので、この作品によって戦国時代の主な流れを知ることもできます。優れた武将は何人もいたのに、なぜ徳川家康が最後の勝者になったのか?山岡荘八の描く人物像にその答えがあるように思います。よく経営者にも読まれている作品ですが、人の上に立つことにおける様々なヒントも含まれています。面白いだけでなく得るものも非常に多いので是非多くの人に読んで頂きたいと思います。